井上ひさしさん(故人)が、日本語教室(新潮新書)で、木下是雄先生(当時、学習院大学理学部教授)の『理科系の作文技術』(中央公書)について、素晴らしい御本だと述べている。
『木下先生の教え子たちが、一生懸命に自分たちの研究を英語で書こうとしても、ぜんぜん書けない。書いてもめちゃくちゃなのです。木下先生は、さんざんそれを観察して考えました。そして結局、教え子たちは日本語を知らない、日本語を知らないから英語も書けないのだ、ということに気づいた。そこでハッキリしたことは、英語でなければ世界の人たちに読んでもらえないという事実です。英語を母語としていない学者たちも今では英語が必要です』と。(原文を引用)
井上ひさしさんは、『日本語とはどのような言語なのか、外国語を勉強することで見えてくる。外国語が上手になるためには、日本語をしっかり身につける。それは、たくさんの言葉を覚えるということでなく、日本語の構造といった大事なところを自然に、しっかりと身につける事が大事です』と述べている。
そして、日本語の成り立ちを分かりやすく、興味深く、講義している。『私たちはいま、昔からのやまと言葉である和語と、中国から借り入れた漢字を使った漢語と、欧米から借りた外来語を一緒にして、微妙に使い分けながら生活しています。ですから外国人は、理解するのに苦労していると思います。日本人は「世界に開かれた日本語」を持つことが必要です。伝えたいことことは、他人に理解してもらわなければいけません。このことはどんな言語でも共通していることです。』と。
私事、3月19日、日本知的財産翻訳協会(NIPTA)の会合に出席した。NIPTAは、知的財産翻訳の中心である特許明細書などの翻訳能力を客観的に測る[知的財産翻訳検定]を実施している特定非営利活動法人(NPO)である。
私はその会合で、翻訳品質を翻訳者だけに押し付けるのではなく、良い翻訳ができる普遍的な日本語表現で書く、あるいは原文作成者と翻訳者が議論するといった講座や場を設けることを提案してみた。恐らく翻訳者は「日⇔日翻訳」の難しさを知って欲しいと思う。一方の原文作成者は「普遍的な日本語表現(文明言語)」で書くという意識が薄いのかもしれない。このズレを認識する処から改善が始まると考えている。普遍的な日本語表現であればAI(翻訳ソフト)の支援が受け入れやすくなり、文書品質も向上する、と思う。(発明くん 2019/03/25)