一般的に理工系人間のアタマの構造は論理的になっている、と言われているが本当だろうか?確かにサイエンスの世界は、ある時点での仮説を実験の繰り返しで実証することである。証明、実現に辿り着くまでは仮説、実験の繰り返しで極めて非論理的な世界ともいえる。
何かを生みだすには、論理的思考を身に付けて現状の問題点、課題を炙りだす作業が必要がある 。つまり「事実」を把握して現状分析をすることである。論理的に整理アウトプットしていけば、問題や課題は必ず明確になる。そうすることで問題、課題に対しても適切な改善策が立てられる筈である。
しかし余りにも問題、課題が大きくて乗り越える「カベ」が高いと突然、彼らは、非論理的になって話が通じなくなる。「そんなもの出来やしない」「そんなものやってみなきや分からんだろう」「理屈どおりにはいかないよ」「こちらも必死だ!ヤイヤイ言うな」と根性論が出てくる。
ここら辺りが、良い技術者と悪い技術者の分かれ目かな?良い技術者は幾つかの仮説を立てながら問題や課題のカベを低くして解決していく能力をもつ。この差はなにか?それは其の人が持つ情報量の多さに関連する。良い技術者に共通していることは、特許調査(調査研究)は自ら行い情報収集を熱心にしていることである。実験が偶然を生み出した話は聞くが、当人達の謙遜であろう。「あてすぽ」では偶然に遭遇することは絶対にありえないと思う。
すぐれた発明をしても、自分が発明した技術しか書けない技術者は能力が低いと言わざるを得ない。能力ある技術者は自分の事だけでなく他人の技術も書ける。何故なら、日ごろから情報を得て自分の位置を確認しながら発明をするからだ。「特許調査をロクにやらない技術者は、いずれ淘汰されるゾ!」(矢間伸次)