世界の大国は大きく分けると、ゲルマン派とラテン派に分けることができる。
アングロ・サクソンはその出身がゲルマンの一派だから、ここではゲルマン派になる。ラテン派は、いうまでもなく、旧ローマ帝国の本家及びその属州のフランス、スペイン、ポルトガル及びスイスの半分、ベルギーの半分であり、大国とはいえないがリオグランデ以南のアメリカ大陸諸国のほとんどがこちらの陣営に属する。つまりは、ローマ文明の恩恵(支配?)とその伝統を受けた地域とそうではない地域に分かれる。
ロシアのことはよく分からないので、とりあえず省いておく。
日本は幕末以来、文化的にはフランス、イタリアに憧れ、国の経営はゲルマン派を先生にしてきた。政治体制はイギリスに習い、陸軍はドイツ、海軍はイギリスを模範としてきた。太平洋戦争後は英国の分家のUSAの政治・経済体制に従ってきた。いずれにせよゲルマン派が先生であったし、今もそうしている。
このことは日本にとって幸せだったのか、不幸だったのか。
私の個人的な好みでいえば、ゲルマン派には違和感が強く、ラテン派に親しんできた。日本人の一般的な気質から見ても、ラテン派に近いと言えるだろう。
ゲルマン派は生真面目であり、遊び心が少ない。ラテン派は本質的に冗談っぽく、遊びが大好きである。スペインやフランスの人がイギリス人が嫌いなのは、経済や軍事力でかなわないからだけではなく、生きる基本姿勢の違いにその根本的な理由があるのだろう。
日本語の源泉は高句麗にあるとの学説もあるように、そして言語構造から見て多分その説は間違っていないと思われるが、発音はどう見ても南方系、それも、ポリネシア系である。このように日本は「文明」ということでは「北方系」に引かれ、つまり頭は北方を受け入れ、身体は「南方系」に分裂したままこの2000年を過ごしてきたように思える。理性は北方系で感情は南方系といっても良い。従って、気質的にはラテン派がお仲間であり、酒を飲みながら、「まあそこのところは一つよろしく」なんて曖昧なことを言いながら、ラテン派相手なら手を組める。
さて、もう一つ残された大国中の大国中国である。
彼らは当然ゲルマン派でもなくラテン派でもない。独立した中国派である。この団体とは、漢字漢語の輸入以来長いお付き合いをしてきたが、2000年近く、まともに話をしたことがない。当初はこちらの頭の程度が低すぎて対等にお付き合い願えなかったであろうし、鎖国中は小さな扉を開けておくだけだったし、日本が西洋風近代化に走り出したときは中国はどん底の様子(清朝末期)だったので、あろうことか昔の先生を馬鹿にするような礼儀知らずの言動を取ってきた。戦後もついこの間まで、半世紀近く、没交渉であった。
われわれは、気質的には南方系アジアが親戚であるが、前の戦争の時に散々悪いことをしてきたのでいまだにその後遺症は残る。しかも、自分達も、野球の清原選手の故郷である岸和田のダンジリ祭の時は、ふんどし一本で走り回っているくせに、とかく南の親戚の人を馬鹿にする悪い癖が残っている。*ふんどしというスタイルはどう見ても南から来たとしか見えない。
つまり、日本人は、メジャーリーグのゲルマン派、ラテン派、中国派のどれにも属せず、親戚の東南アジアとマイナーリーグを組むこともできていない。石油のほとんどを頼っているイスラムの国々とは、なにせ当方の理解は、いまだにアラビアンナイト千夜一夜の世界以上には拡がっていないし、「厳しい宗教的戒律」には程遠い民族であるから、互いに宇宙人同士のようなものである。トルコのように、例外的に、あの憎たらしい北方の巨人ロシアに勝ったという100年前のことをいまだに記憶してくれていて友好的な集団もいるが、いずれにせよ遠い国である。
ともかく、私としては、ゲルマン派と組んでいると、精神的に疲れるばかりだし、いつもいいように言いくるめられてカモにされるばかりなので、ここらで離縁したいのだが。
(06.1.28.篠原泰正)