1月21日(土)は「白峰さん」の初七日であった。当日の天候は,この冬はじめての雪であった。しかも大雪であった。見渡す限り白一色で、景観の汚れを綺麗に覆い尽くしてくれている。因みに大阪の14日(土)は,明け方から小雨がパラつき,一日中が雨となった。
「白峰はさん」は,生涯を独身で過ごした。過ごさざる理由が有ったようだ。我らの親父は私が物心もつかない幼い時に出奔した。今で言う蒸発である。おふくろは,生まれながらのノ-テンキ、天然ボケで生きていく術を知らない。突然「白峰さん」が、一家の主となって残された5人、母,妹,二人の弟の生活を見る破目になったのである。
「白峰さん」の遺骨は大阪天王寺にある「一心寺」に納骨した。矢間家の墓は「一心寺」から歩いて10分ぐらいの所にある。しかし、「白峰さん」は,矢間の墓ではなく「一心寺」での納骨を強く望んだ。
お骨収めとおせがきで知られる「一心寺」は、いまからおよそ800年まえに創建された。開いたのは,今の京都知恩院で新しく念仏の教えをひろめておられた法然上人である。「一心寺」には数十万の人骨を集めて造立された「お骨佛さま」が安置されている。仏前には春夏秋冬、一日として香煙の絶える日は無く,遺骨が練り込められた「お骨佛さま」に参詣される人たちで境内が埋め尽くさられている。賑わい,お祭りが好きであった「白峰さん」に似合う地である。収められたお骨は、
1.一心寺におさめられたお骨は,一まとめにして「お骨佛さま」を造立安置します。
2.今日収められたお骨は,平成19年春「お骨佛さま」になられます。
3.収められたお骨は、ただちに「お骨佛さま」造立の準備を致します
4.平成19年4月、「骨佛開眼大法要」が盛大におこなわれます。
(一心寺のしおりより)
人間は、時がたてば直ぐ忘れる,忘れない為に記録しておく(矢間伸次)