1月13日金曜日、「白峰(ハクホウ)さん危篤」の連絡で、急遽大阪に行く。今日は13日の金曜日である。「縁起でもない!」不安が更に大きくなり落ち込む。
明けて1月14日、午前7時58分、「白峰さん」は71歳の生涯を閉じた。落ち込みは更に深くなるが、気持ちを立て直さねばならない。1月14日は、私の憧れである「高杉晋作」がク-デタを起こす為に挙兵した日である。これも何かの因縁であろう。現実に立ち向かって気持ちを奮い立たせねばならない。所詮こじ付けであろうが、人間は甚だご都合主義に出来ている。自分の都合に合わせて悪く考えたり、良い方向に考えたりするものだ。
「白峰さん」とは、私の長姉のことである。姉は日本アイア-ルが創業したときからの同志でもある。「戦中派」の人達の言葉をかりれば、さしずめ「戦友」であろう。創業時の会社経営(日本アイア-ル)は、とかく不安定である。仕事が入らなければ私が食っていくことすら保証されない。勿論、姉に払う給料なんて無い。このような事情から「白峰」という明日も知れない超零細企業がうまれたのである。
いまにも潰れそうな会社、日本アイア-ルの下請けではたまらい。仕事がなくて収入の無い月は、何処かから食い扶持を稼いでくるしかない。例え、仕事をしても日本アイア-ルが確実に代金を払ってくれる保証もない。日本アイア-ルから、たまに来る仕事は、ロクなものしかない。特許公報の整理、編集と言った雑務ばかりで、極めてしんどい作業である。多忙のときは朝早くから夜遅くまで休みもなく働きつづけねばならない。面倒で手間のかかる仕事は全て「白峰さん」まかせ。私は朝から晩までセ-ルスするしかない。
いろんな出来事があれこれ思い浮かんできている。そんな日から30年も経った、。「身の丈にあった経営」は今だ変わらない。変えてはならない、姉との約束である。(矢間伸次)