日本の強みであった?「曖昧日本特許明細書」は、知財のグローバル化と第4次産業革命で、その役目は終えた?。
大量生産を目指した第2次産業革命は「物つくり日本」の全盛時代であった。日本は欧米の基本技術を導入し、それら基本技術を応用・改良して本邦初の製品作りに邁進した。その製品開発に成功すれば会社の発展は約束された良き時代であった。それら「製品コンセプト」は、便利で使いやすく高品質で、しかも安価である。それら製品は世界市場で受け入れられ日本の高度成長期を支えてきた。
何処の企業も目指すことは同じで、似たもの技術の開発競争となった。ここで役立ったのが意味不明、曖昧な日本特許明細書であった。これが「談合特許」の始まりで、曖昧さと件数(物量)が交渉の武器となった。更に外国人には理解が出来ず、この曖昧日本語が日本技術を守るバリアともなった功績は大である。
しかし第4次産業革命を迎えた今日では大きな負となること間違いない。なぜなら世界共通のプラットフォームに参加しなければ「物つくり日本」の存続が難しいからである。我々日本人は、そろそろ世界へ「物・事・考え」を伝える「平明日本語」を考え、使う時期にあるとおもう。中でも技術の説明は、文化の色合いが少ない文明の言語で事が足りる。
話は飛ぶが、12月はノーベル賞の話題が多く取り上げられている。過去にノーベル文学書を受けた川端康成氏と大江健三郎氏の受賞スピーチについて、池上彰氏がおもしろい解説をしていた。川端康成は「美しい日本の中の自分」、大江健三郎は「曖昧日本の中の自分」という内容であったという。川端康成は、美しい日本から生まれる叙情的な美しい言語の利点(日本文化を感じられる)について、大江健三郎は曖昧日本から生まれる曖昧言語の弊害(世界から取り残される)についてスピーチしたそうだ。
更に話は飛ぶが、本年は夏目漱石が亡くなって100年ということで、漱石ブームである。漱石の代表作「我輩は猫である」に、訳の分からない手紙を受け取って、猫の主人である苦沙弥(くしゃみ)先生がやたら感心する場面がある。
”なかなか意味深長だ.何でもよほど哲理を研究した人に違いない。天晴れな見識だ”と大変賞賛した。この一言でも主人の愚なところはよく分るが、翻って考えて見ると 聊か(いささか)尤も(もっとも)な点もある。主人は何に寄らず わからぬものをありがたがる癖を有している。これはあながち主人に限った事でもなかろう。分らぬ所には 何だか気高い心持が起こるものだ。それだから俗人は 分からぬ事を分かったように吹聴するにもかかわらず、学者は 分かった事を分からぬように講釈する。
この名作は百年以上前に書かれたものだが、これを見ると「分らない文章をありがたがる」性癖は、世間一般において、いまだに受け継がれているようだ。苦沙弥先生が今に生きていて、日本特許明細書を読めば、「これは素晴らしい発明技術に違いない。これを書いた人は学識がよほど優れている。これぞまさしく知的財産だ、本物の「インテレクチュアル・プロパティー」だと感心してくれるだろう。(発明くん&Y.S 2016/12/14)