10年か20年後に、地球を壊した犯人を裁く地球規模の裁判が行なわれたなら、アメリカ人を筆頭に、欧州人と並んでわれわれ日本人も被告席に並ぶこととなろう。
判決が出るまでは、アメリカ流に言えば暫定無罪(presumed innocent)、つまり今のところは無罪ですよ、ということで、今現在、日本人はノー天気に生きている。
昨日、1月11日(06年)の朝日新聞に北極の大異変の記事が大きく載っていた。
大変だ、という事実を伝えてくれるのはありがたいが、次の記述が問題である。
「こうした環境変化は、二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの排出など人間の活動の結果もたらされた温暖化なのか、それとも自然現象における変動の範囲内なのか.実はこの点はまだはっきりしない。」
「はっきりしない」のはこの記事を書いたノー天気の記者だけで、海外の科学者の中で人間の活動結果であることを疑っている人は誰もいないはずだ。まだハッキリしない、などと悠長なことを言っているのは、情報の僻地の日本だけで、事実の把握と因果関係の解明はできており、今はもう、どうやってこの環境激変を食い止められるかの「対策」に関係者の頭はいっぱいなのだ。多分この記者は国内の科学者には十分取材しただろうけれど、海外の記事やレポートは読んでいないのではないか。
因果関係は「実はまだハッキリしない」と大朝日新聞が書けば、多くの人は、そうか、まだ二酸化炭素の排出規制もそんなにしゃかりきにならなくても良いな。はっきり犯人だと決まったところで対策に力をいれよう、と考えるだろう。
日本は「暫定無罪」、判決が降りれば100%有罪の身なのだから、「対策」にシャカリキにならなければならない局面に直面している。壊しておいて、修理もしないようでは、とてもじゃないが「ラストサムライ」なんて者ではない。
(06.1.12. 篠原泰正)