「名こそ惜しけれ」日本の美学の核
2006年1月1日にアップした篠原ブログ:「名こそ惜しけれ」日本の美学の核が、2月13日から急激にアクセス数が増え、10000を超えた日もあり、10年前に書かれたものが、なんで今頃?と驚いています。
この「名こそ惜しけれ」日本の美学の核、は下記の「日本人としてのアイデンティティを失うな」という原稿の続きになっています。導入部も読んでいただくと、更に納得頂けると思い、その原稿をアップしました。「知的財産活用研究所」が提唱し続けている「グローバル特許明細書」を作るには、論理力が必要ですが、その論理思考の危うさと日本人が持つの美意識を再認識することが目的で書かれています。
日本人としてのアイデンティティを失うな
「世界の共通分野での「物・事・考え」を伝えようとするなら、論理的に筋道つけて説明しないと、理解を得られない。即ち、特許明細書の書き手は論理思考を持たねば「グローバル特許明細書」の作成は難しいということを強く訴えてきたつもりである。
誤解されると困るが、論理性と「人間としての正しさ」は必ずしもイコールではない。論理的にものごとを考え、表現する根元の所に、「人間としての正しい心」がなければ、論理的に怪しげなシステムを考え出し、論理的にとんでもない戦略を立案し、論理的に嘘をつく行いが横行することになる。論理的思考と表現能力を身につけることは、人間としての品質が向上することを意味しない。
しかし世界の中で、それなりの役割を果たすためには、「面倒だけれど」論理性を身につける必要があるということは理解して頂きたい。つまり日本人としての「アイデンティティ」を失ってはいけないことを理解してほしいということである。
皆さん既に承知しているが、英語は対立の図式で表せる文化の下にある言語である。従って英語で事実報告や考え方や分析された情報を受け取る(主に読む)、英語で表現する、英語で討議するという場合には、英語力が高くなればなるほど、英語を母国語とする人の、この対立の図式の基で、思考や分析、議論を行うことにつながる。
これは、日本人としての「アイデンティティ」や、企業や国という団体の利益保持という面からは、極めて望ましくない危険なことである。実際のところ、英語およびその背景の文化にあるこの対立の図式が、今日の世界における様々な摩擦の原因の一つになっていると言える。
グローバルな環境で、英語で戦う戦士たちが、深い経験を積み、日本人であることを忘れなければ、そこから初めて、我々の、日本式の生き方を、英語を使って表現していく場面が見られるようになると考えている。そのように期待をしている。日本人としての「アイデンティティ」は見失うな、まず日本語を身につけろ、そして英語の力は数段伸ばせ、と相反することを要求することになるが.それは日本人として克服しなければならい大切な事項と考えている。(発明くん2016/03/01)
「名こそ惜しけれ」日本の美学の核は、こちら
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