日本語とはどのような言語なのかと、この半年、割合、真剣に考えている。しかし、テーマが大きいので答えはなかなか出てくるものではない。
隣国の中国から漢字がもたらされたとき、すなわち5世紀、6世紀というとき、中国と日本の社会の成熟度には格段の差があった。例えば、原日本語には、まだ抽象的な概念を表す言葉はほとんどなかったようだ。社会がそのような言葉を必要とするほど成熟していなかったのだから、当然であろう。その結果、漢字という文字と共に、その文字が意味する概念なども輸入されて使うことになった。中国ではこの時までにおよそ一千年ほども、高度の文明を展開してきたのだから、抽象的概念もそれを表す言葉(単語)も高いレベルにあった。
この輸入のお蔭で、日本は短い期間に一挙に、飛躍的に知性を向上させることができたわけだが、それが良かったのかどうか。少なくとも言えることは、以降の日本語では、オリジナルでこのような抽象的概念を表す言葉を開発する努力を放棄してしまった。あまりもの力の差に呆然として、自前で言葉を作り出すなんて気力も出なかったのだろう。
以降、1500年ほどの間に、多くの概念は日本語そのものになったようにも見えるが、本当に根付いているのだろうか。中国と日本は人の顔つきは似ているが、それ以外は似ているところが少ない。極めて異質の社会が隣あっているとみたほうが正しいだろう。そのように違う社会で発展してきた概念などが、本当に日本に根付いたのだろうか。例えば「天」という概念は、懸命に理解したつもりでも、実は本家で持っている意味とそうとうにかけ離れて、われわれ日本人は理解しているのではないだろうか。
社会の成熟度も、そのありようも、民族の気質も大きく異なれば、懸命に勉強しても、先生の考えを100%理解することは無理であろう。しかも、言葉と文字は輸入したが、それを活用する言語体系はオリジナル日本語のままであったのだから、ますます原義と異なる理解や使い方になったとしても不思議ではない。仁、義、理などなど、日本人は理解したつもりでも、もう一つ手の内にはならなかったのではないか。どこか借り物風の、自信を持ってこれはこういう意味だと断言できないまま今に至っているのではないか。
硬質の中国語と異なり、原日本語はどう見ても「軟派」の言語である。ポリネシアや南アジアに親戚がいそうな、失恋の歌を唄うには適していても、哲学を語るには適さない言語である。
もし、南アジアか南太平洋に、当時、中国と同等の高い文明を誇る地域があったなら、日本人は全員そちらに向かっただろう。親戚から輸入したほうが楽である事は明らかだから。
軟派の言語体系の上に硬派の言葉を接木(つぎき)したのが、われわれの日本語であり、そのぎこちなさはいまだに、そして、多分永久に消えない。
(06.1.6.篠原泰正)