大晦日である。
来年は今年よりも「進歩」するのだろうか。
明治維新までの日本には社会は進歩する、発展するという概念は無かったはずだ。この概念は「西洋」からもたらされた。概念だけではなく、黒船を眺めていると、「アリャ、俺たちは随分遅れているゾ」と思わざるを得なかったであろう。蒸気機関車だ、アームストロング砲だ、元込め式ライフルだ、憲法だ、議会制だ、なんだかんだと持ち込まれて、明治のエリートたちは気も狂わんばかりだったろう。息を切らしながら追いつけ追いつけと休むまもなく走ってきた。
しかし、昭和の時代になると、どうも社会は良くなるどころか、年々悪くなってきているのではないかと、多くの人が感じるようになったはずだ。まさしくそうで、社会が「進歩・発展」しなければ死ぬことも無かったであろう多くの国民が無残な死を強制された。そして、1945年、連合軍が進駐してきて、ありゃ、俺たちはこんなに遅れていたのだ、ともう一度思い知らされることになった。
それからが、また息を切らしながら、追いつけ追いつけである。
その結果、国民の多くが自分は中産階級に属していると自覚するまでに、社会は豊かになった。およそ20年前である。その後はどうなっただろうか。社会は良くなるどころか、毎年荒れていくことが多くの人に実感されているだろう。特に、この10年、さらにこの5年の間に社会が大きく荒んで(すさんで)しまった感がある。これは何も日本社会だけでなく、自分たちで「先進」国と称している国々で共通して生じている様相のようだ。
人間の叡智が、二千年前の漢の時代と比べて、あるいはローマ時代と比べて、どう見ても進んだとは思えないように、その人間が営んでいる社会も進歩などはしていないのではないだろうか。この200年、石炭と石油の利用を「発見」したがゆえに「社会」が進歩したと見えただけのことではないだろうか。社会の進歩が経済的発展という面でのみ量られれば、経済は毎年毎年成長することが義務づけられることになる。成長が善であり、停滞は悪とみなされる。このような進歩史観に基づくと、その社会は毎日毎日自転車であえぎながら坂道を登っているようなもので、一時も休めない。南太平洋の島でのんびり暮らしている人々から見れば、なんて可哀そうな人たちだろうと同情されることになろう。
昔は自動車など高嶺の花で買えなかった、今の日本は豊かになったというならば、昔は子供が家の外で何をしていようと心配する必要はなかった、今は...という話になる。
社会の評価をどのような観点で見るかによるが、仮に、社会の構成員の大半がそこそこ衣食住に困らず、命の危険を感じることなく毎日が過ごせる社会が素晴らしいとするなら、日本の社会は、明らかに20年前から見ると「後退」、あるいは「退化」している。あるいは「後退」というような「進歩」の概念ではなく、大半の人が伸びやかな顔をして生きているかどうかという基準で量ると、明らかにその水準は落ちている。
たとえば、今年05年、私がもっとも嫌な感じで目にし耳にした言葉に「勝ち組、負け組み」というのがある。人間の存在をこのような言葉で分類して、しかもそれが当たり前のように多くの人々が使う社会がまともであるはずがない。もちろん全員ではないが、社会を構成する多くの人々の品性がそこまで落ちたかと、私は暗澹たる気持ちにならざるを得ない。日本人の品質もここまで落ちたか!という感じである.
もちろん多くの人々は理解していないだろうが、この言葉の出所は、社会をほんの一握りの自分たち勝ち組(取り巻きを含めて)と、90%の負け組みに二極化して、その無知な、あほな大衆を自分たちの都合の良いように制御しようとする勝ち組の戦略にある。つまり、先進諸国の社会はそこまで荒れ果ててきている。
ともあれ、社会は進歩するものだ、経済は発展するものだという考えをインチキとして、もう一度、まともな人間社会とはどういうものかを考えなおすよき機会を、「勝ち組負け組み」という言葉が与えてくれている。
「勝ち組負け組み」という分類は情緒的な、あるいは感性的な言葉であるが、その裏には上に述べたような論理的な戦略が潜んでいることを知らなければならない。事実を知りそれを分析する「インテリジェンス intelligence」力を一人一人が高めていかないと、オレオレ詐欺にだまされて五百万円を振り込む破目になる。
来年は、社会は進歩する、経済は発展するという「進化論」にはっきりと訣別する年となろう。そうであってもらいたい。
(05.12.31.篠原泰正)