国家レベルで、また企業レベルで、日本のエリート層の人(*)は、一般的に「戦略」が大好きであるが、それらの「戦略書」がまともな戦略になっているかどうかは、極めて怪しい。*エリート層にいる個々人が「エリート」たる資質を持っているかどうかは別問題である。
戦略という概念とその実施は、多分、戦国時代の著名な大名、信玄、謙信、信長、秀吉、家康、政宗などは持っており、それに基づいて行動したと思われるが、鎖国を200年以上続けている間に、日本人はどこかに忘れてきてしまった。明治維新以降、近代の戦争の展開理論と共に、この考えは輸入されたが、さっぱり身に付かなかったように見える。その挙句が、あの戦略なき太平洋戦争であったのはよく知られているところである。戦後、米国から、この考えは主に「企業戦略」という分野で再度輸入され、今に至っている。
戦略という言葉が好きな割には、多くの人にとって、相変わらず血になり肉になりとはなっていないようなので、これから何回かに分けて、この事象を眺めていくことにする。
戦略を形成する要素としては以下があり、策定するプロセスもおおよそその要素ごとであり、「戦略書」の構成も、そのプロセスの順序で記述されていく.
(1) フィロゾフィー(Philosophy):哲学、理念、目標など、何故にこれを行うのかを確認し、表明する場。
(2) コンセプト(Consept):哲学の具現化.つまりもう少し具体的に何をするのかを、短い言葉で表わす。この設定には、次の事実確認を反映させる場合が多い。そうしないと、理念だけでは、空想物語になってしまう危険があるから。
(3) 現状分析:主題が直面している現状がどうなっているのか、事実をつかみ、それらを分析し、問題点を抽出する.情報集めの作業が疎か(おろそか)であったり、分析力が劣っていると、以降のステップで展開する対策を誤ることになる。
(4) アーキテクチャー(Architecture):対策の大筋をここで立てて展開する。戦略の場合には、「戦略大綱」という言葉で、ここで全体の骨組みが立てられる。システムの構築の場合は、システムアーキテクチャーとして、システム全体の構造がここで定められる。個々の製品の場合には、製品の範囲をここで定め、製品概要として、仕様書に示される.
戦争における「戦略」の場合は、ここまでが、中央の本部、米国であれば「統合参謀本部」、前の戦争での日本なら「大本営」で、策定され、現場に大筋が示される。戦略とは、限られた人、モノ、金の資源を、戦争に勝つために、いつ、どこで、どのように割り当てるかということだから、ここでそれを確定することになる。
(4) シアター(Theatre):文字通り劇場ということで、一つの方面で、与えられた資源を最大限有効活用して敵をやっつける作戦(Campaign)がここで定められる。例えば、1941年のロンメル将軍のアフリカ軍団(Afrika Korps)に与えられたのはこの部分であり、1942年の太平洋では、マッカーサーに与えられた役割は南西太平洋というシアターで、南太平洋はニミッツに与えられた。ここにおいても、相手の力と自分の力を客観的に分析し、戦略で示された大筋と掛け合わせて、どのように戦うのか、コンセプトを明確にしておく必要がある。
システムや製品の場合は、このレベルが個々のモジュールであり、それぞれの役割、機能、居場所を明確に定めて行く。
ここまでに記したように、戦略を策定し、展開することと、システムや製品を開発することは、同じ論理思考の流れ、同じ展開のステップであり、文書にまとめる構成と順序も同じとみなすことができる。欧米流の展開は基本的にこのようになっており、この流れに沿っていない展開方法が示されると、彼らは理解するのに苦労することになる。
発明の開示仕様書においても、何故にこれを発明したのかという理念の宣言と、現状分析による現行のシステム、製品、技術の問題点を明らかにすることが、仕様書の前段階で必要となる。この記述があって、受け手(その文書を読む人)は、何がテーマ(サブジェクトマター Subject Matter)なのかを理解した上で、本題の検討評価に入ることができる。
ついで、アーキテクチャーの部分で、全体の大枠の中で「本発明」が位置する部分を明確に囲って、示すことになる。それを権利の主張として定着させた記述がクレーム(Claims)と呼ばれる、特許文書にだけ存在する部分となる。従って、クレーム(請求項)は、現状分析と全体構造が記述された仕様書部分によってサポートされていなければならず、仕様書に記述されていない事項がクレームにのみ記述されていることは認められない。
シアターの部分は、特許仕様書においては、実施例の開示に基づく詳細説明となる。システムや製品仕様書の場合は、ここで、それぞれのモジュールの詳細が特定されていくことになる。
日本の特許明細書が欧米人にとって、しばしば理解しがたいのは、個々の英語文章が日本語風英語であるという問題もあるが、それ以上に、仕様書の構成が、上に述べたような流れになっていない、すなわち、彼らの思考の流れと異質であるところに最大の原因があると思われる。図面に基づく詳細説明においては、英語文章に多少の難点があっても、それほど大きな理解の妨げにはなっていないはずである。理解を妨げている一番の問題箇所は、なぜにこの発明をしたのかという理念が読み取れないことと、現状の中のどこにこの発明が位置しているのかがはっきりしないところにある。
先行技術(prior art)のレファレンスが不足していることは、現状認識が足りないことを示すと共に、先人の業績を無視していることを表わすことになりかねない。すなわち、先行の技術との対比において自分の発明を明確に主張しないことは、受け手の理解を妨げるだけでなく、先行の努力に対して敬意を払っていない、失礼な態度とみなされる惧れがある。自分の知的財産を主張することは、同時に先行の知的財産を尊重することであり、その姿勢があって、初めて、互いの価値を認め合い、必要であればライセンスを交換するという公平なビジネス環境を作り出すことができる。
戦争にせよ、企業の事業展開にせよ、また製品競争にせよ、現状把握が不足しているのはわれわれ日本人の、ある意味では致命的な欠陥であり、世に数多い「戦略書」なるものが、まるで戦略になっていないのもこのことに最大の要因があり、海外に出願された大半の特許仕様書(クレームを含む)が、いざというときに効力を発揮できないのも、ここに最大の要因があると思われる。
英語で記述された米国や欧州の特許仕様書が「読めない」のなら、そもそもそれらの国に出願することは止めた方が良い。出願から1年半たてば、情報は公開開示されているのだから、その時点までの先人の業績に対して敬意を払って調査をし、自分の発明がその上でここが新しいのだと主張することが、「礼儀」でもあろう。
近代の歴史において、他国を植民地とするような、あるいは断わり無しに攻め入ったりという、例外的な失礼な時代はあったが、全体としては、日本は「礼節」の国として、世界の中から一定の評価を受けているはずであり、知的財産を尊重するのであれば、先ず、世界の中の先人のそれを尊重するところか始めるべきであろう。
英語が読めなければ、勉強すればよい。
勉強もしないで、読めないからといって先行の技術をろくに調査もしないで、出願だけは海外にゴマンと出すようなことは、「失礼」な態度なのではなかろうか。
(05.12.25. 篠原泰正)