私が新入りの社員であった頃、アメリカ駐在から帰ったばかりの高橋さんが課長としてこられた。アメリカの自動車ではなんといっても「マスタン」よ、ということであった。フォード・ムスタング(Ford Mustang)の話である。元ヒコーキ少年の名残を引きずっている私にとっては「ムスタング」と聞けば真っ先に頭に浮かぶのは「P-51ムスタング」戦闘機であるから、そのときには、なるほど同じ名称の自動車もあるのだと知ったと同時に、さすがアメリカ帰りの課長、発音が違うな、「ムスタング」ではなく「マスタン」というのだ、と妙に感心した記憶がある。発音としては「タ」にアクセントを置き、最後の「グ」は発音しているつもりで発音せずに口の中で飲み込んで終るようにする。
話がそれるが、ここまで書いて思い出したのだが、「ジパングとは日本のことか?とマルコ言い」と、ベニスの人マルコ・ポーロがたずねたかどうかは知らないが、彼は当時中国で聞いた日本の国名を、中国の人の発音どおりに、正確に「ジッパン」(Gipang)と記したはずだ。呉の地方で聞いたのなら「ニチホン」だが長安で聞いたはずだから「ジッポン」又は「ジッパン」であろう。「日本」を、中国の人の発音どおりに書き写すと、末尾の破裂音「ポン」あるいは「パン」は欧米語では「g」を入れることになる。これをローマ字の綴りどおりに「g」まで発音すると「ジパング」になってしまう。もしそのように読むのなら、われわれは香港(Hong Kong)は「ホングコング」といわなければならない。何で「ジッパン」だけが「ジパング」になってしまったのか、私にとっては未だに解けない謎である。*ジッパンがなまるとジャパン(Japan)になるしそこからまたなまるとジャポーネとなるように、日本の国名は昔から今まで世界共通の一つだけである。
さて、ジパングならぬムスタングの話であるが、この自動車とはもう一度出会いがある。
初めてその名前を知ってから20年以上後に、この名車に乗せてもらう「栄誉」に浴したことがある。当時私が勤めていた会社のCEOであるダニエル・ボーレル氏は、大いなるスポーツマンであるとともに、大なるカーキチでもあって、スタンフォード大学の大学院生であった時に、サンフランシスコからロスアンジェルスまで国道101を5時間でぶっ飛ばしたという伝説を持つ。この記録を本人は否定しているが、話は尾ひれがついて、友人達の間では、ハイウエイパトロールのヘリコプターも追いつけなかったと、まことしやかに信じられている。このときの彼の車がムスタングである。
ともかく、彼はムスタングにはなみなみならぬ愛着があったのだろう。95年ごろと記憶するが、遂に彼は60年代の、すなわちモデルチェンジされて駄目になる前の、ホンマモノのムスタングを手に入れ、会社にもそれで出勤してきていた。おかげで、上に書いたように、この栄えある車に同乗させてもらうことができたわけだ。
この車は、アメリカ自動車業界のお騒がせ男、当時フォード事業部(Ford Division)の事業部長(General Manager)であったリー・アイアコッカ(Lee Iacocca)の庇護の下に生まれ、1964年春、センセーショナルなデビュー(debuted)を果たした。当時、ロバートマクナマラ(Robert McNamara、その後ベトナム戦争を国防長官United States Secretary of Defenseとして指揮した)率いるフォードの経営陣は、ムスタングのコンセプトをあまりにもリスキーとして承認していなかったのだが、アイアコッカが彼一流の強引さで1962年に開発にゴーをかけ、18ヶ月で市場に持ち込んだ。
結果は、バカ売れ。
64年9月から量産が始まり、以後2年間の生産が150万台という途方も無い大ヒットとなった。
特に68年の「Firstback」は、スチーブ.マッキーン(Steve McQueen)が映画「ブリット Bullitt」の中でこれに乗り、サンフランシスコの市街でダッジ・チャージャー(Dodge Charger)を相手に派手なカーチェイス(car chase)を繰り広げたので、さらに若者の人気に火をつけた。私がCEOに乗せてもらったのもこの68年ものである。
ダッジ・チャージャーは、1971年大ヒットした映画「Vanishing Point 蒸発して消えてしまうポイント?」の主役でもあった。自動車配達請負屋のコワルスキーがコロラドからサンフランシスコまで、ひたすらぶっ飛ばした車がこれであった。ドッドッドという低音のエンジン音がなんともいえない、また、なんでぶっ飛ばしているのか目的不明のコワルスキーの虚無的なあり方が、68年の叛乱の後の虚しさを感じていた若者に響いた映画であった。
話が逸れそうになったが、思えばこの頃がアメリカの自動車の頂点であった。
その後、70年代の終わりごろから80年代の初めにかけて、アメリカに出張するたびに聞かされたのは、新車を買って2週間でドアが外れたの、ハイウエイでエンジンが止まってしまったの、などなど、目を被いたくなるような品質低下の話ばかりであった。
ムスタングが世にでてから40年後の今、ビッグスリーはまさに臨終の床にある。
(05.12.23. 篠原泰正)