独学のススメ(16)
黒船以来160年、この列島の住人がその下で生きてきた近代文明は、別名として近代工業・金融・帝国文明と呼ぶことが可能であろう。つまりその三つを特徴とする文明である。その中でも、「工業文明」の側面は圧倒的な力でもってこの列島の社会に変化をもたらしてきた。これは嫌々仕方なしにそうしてきたのではなく、ものづくり大好きという性向を多くの住人が有していたがために、進んで取り入れてきたところが多い。もちろん、維新以来の、富国強兵をスローガンとしてきた国家による上からの導きも大きかったが、好き、得意だから、なにやら全員参加風に進めてきた側面が強い。
そして、160年の時間の流れの結果として、腕(技能)の面で工業化に大きく貢献してきた職人集団が、今、消え去ろうとしている。工業化がトコトン進んだ結果、「時代遅れ」の「職人」はお役目御免と見捨てられたわけだ。
「職人」の話をしようとして気が付いたのだが、前回、表現する分野を造形と言葉と音楽の三つと分けたが、そのほかに二つ加えるべきであろう。4番目は造形に近いが、命を育てるという面が強い農業・牧畜がある。5番目はからだ(身体)で表現するという分野となる。これは踊りとか能とか演劇とかスポーツなどあれやこれやたくさんの分野があり、多かれ少なかれ、造形や言葉や音楽を伴ってのものと言える。
さて、職人の話であるが、職人とは、私の定義でいけば、これらの五つの分野のどれかにおいて、自分の腕(技能)で報酬を得て社会の中で生活を維持している人となる。その意味で、基本的に自営業の意味合いが強い。例えば、”包丁一本晒しに巻いて”渡り歩く板前さんは、土地土地においてどこかの料亭に雇われることになるが、その料亭の「社員」になったわけではない。あくまでも自営業として雇用契約を結んだだけである。
日本の近代工業は1945年の終戦までに戦艦大和やゼロ戦を作り出したとはいえ、三菱名古屋工場で作り出した試作のゼロ戦を近くの小牧飛行場へ運ぶのに牛に引かせた荷車に積んで行ったという具合に総合としては極めてアンバランスな未成熟のものであった。それだから、戦後すぐの時代に幼少期を過ごした私の周りには、あれやこれやの職人さんがたくさん存在していた。そして、ぽつりぽつりと欠けていって、ついには死に絶えた職業が目立つようになる。今や、この列島に残された職人さんも絶滅危惧種(endangered species)として登録しておかねばならないほどになってしまっている。
表現するという高貴な行為を視点において、次にまず、造形分野の典型とも言える「大工さん」を眺めてみることにする。
(13.05.15.篠原泰正)