グローバル人材の育成と言えば、まず英語教育の在り方が議論される。確かに流暢な英語ができることは素晴らしい。しかし外国語を学習する時は、「彼等は、何故そのような表現方法を採るのか、何故そのような言い方をするのかを、まず理解することが基本で、それが外国語への興味を誘導する」と、先輩から教わった(ただし還暦を過ぎていたので既に手遅れであったが)。英語の達人から見れば、この考えは至極当然のことで、今更何を言っているのかと笑うであろう。しかし暗記型の英語学習で挫折をした自分にとっては目から鱗であった。自分は流暢な日本語に戻すことができず「英語嫌い」になったと今でも思っている。
外国語に興味を持つことで次のことも「よ~く」分かった。我々日本人は、情感豊かな「文化の色合いが強い日本語は十分に持ち合わせている。しかし、一方では、世界へ「物、事、考え」を伝えるための日本語、つまり「文明言語(*)」を使うことに関心が薄いということであった。「文明言語」であれば、文化と民族は異なっていても物を見る方法、考える方法、原理や技術の説明、社会の仕組みやシステムなどを世界の人々へ伝えることが容易になる筈である。それには、まず文明英語で記述されている「物、事、考え」と同じ内容を「日本語で明快に表現する訓練」を学校教育で行えばグローバル人材の底上げに繋がると思っている。英語へ転換し易い日本語であれば、翻訳ソフトの支援も受けられ、英語勉強の効率も格段に上がる筈である。
先輩の言葉を借りれば、論理思考で物事を突き詰め、それを論理的に表現する訓練がされていないのに英語をマスターしろと言われてもそれは酷な話である。その結果として英語も身に着かず母語である日本語で論理的に表現することもできない、グローバル社会で活躍できない日本人が増えることに繋がる。日本が、あるいは日本人が世界から共感を得るためには、まず、世界の人々とコミュニケーションができる、「開かれた日本語」すなわち、第二母語としての「文明日本語」を身につることが早道と考える。そして次は、日本文化に根ざした「文化日本語」を武器にすることである。文化の色合いが強い日本語は世界の人々が持っていない、共生(自然や人間と)の精神と相手を思いやる優しさがが根底にある。日本人の考え方が伝われば世界の人々から日本が、あるいは日本人が信頼され、尊敬されるに違いない、と。(矢間伸次)
(*)ここで言う「文明日本語」、あるいは「文明言語」は造語であり、定義を次のようにしている。アタマの中で理解ができる言語、、あるいは文章である。