独学のススメ(12)
”日本人は創造性に欠ける、独創性が無い”という声が、昔から、ニッポンジンから折りあるごとに出てくる。このニッポンジンはわれわれ民衆ではなく、この国の指導層、すなわち霞ヶ関、大手企業の経営陣、一流大学(と称されている)の教授先生たちである。私から言わせれば、マンガである。一人一人の創造性を殺してきたのはあなた方ではありませんか。
創造性も独創性も意味は同じである。「創造」とは他と異なる何かを生み出すことだから、当然それは「独創」である。言葉は違えどもいずれもオリジナリティ(originality)、パーソナリティ(personality)、インディビデュアリティ(individuallity)から生み出されるものである。言い方を変えれば、独創的でない創造性はありえない。
この日本列島の住人に創造性が薄いのは誰もが「むらびと(村人)」であるから、という文化人類学的または社会人類学的説明に妥当性が十分にある。しかし、それだけでは十分に説明したことにはならない。私の目には、学校教育というシステムが一人一人の創造性を殺している。現行の、そして明治維新以来の学校教育は、創造性のホロコースト(holocaust)、大虐殺(massacre)、一大殲滅(せんめつ annihilation)の場である。
維新以来と書いたが、感覚としてはこの数十年の殺戮が目立つ。
絵を描く、という教科を取り上げてみよう。
私は小さいときから絵を描くことが好きで、中学生の時には美術の先生にほめられて舞い上がり、母に”俺、画家になろうかな”と相談したら、”絵描きでは食っていけません”と一言の下に退けられた覚えがある。油絵はやったことは無いが、水彩ではちょっとしたものだったと今でも思う。この、絵を描くことが好きという性向は小学校高学年の時に学校で養われた。素晴しい担任の先生の下で才能(たいしたものではないが)、少なくとも絵を描くことは楽しいという心の成長に支援を受けた。戦後10年も経ていない時期に、素晴しい教育を受けていたことになる。
話は飛ぶが、数年前、地下鉄のどこかの駅で、子供達が描く「地下鉄の風景」といったコンクールの佳作が張り出されていた。一言で言えば、気持ちが悪くなった。張り出されている全員の絵は、私が小学生のときに描いていた絵からすれば、見事に整っていた。いや整い過ぎていた。「上手に描く」という基本姿勢、いや指導姿勢が見え見えの嫌らしい絵ばかりであった。そう、原因はわかる。母親がうるさく口を出して、「上手な絵」に仕立て上げているに違いない。「お絵かき教室」なんぞに通って、「上手な絵」作りの指導を受けているに違いない。結果として、どこにも子供らしい伸びやかさが見られない、つまり「魂」が籠っていない展覧会となっていた。
この列島の住人が、古来、造型感覚に秀でていたことは間違いない。しかし、今、その得意としてきた分野でも創造性は死に瀕している。このままでは、近いうちに、”昔は造形に強かった民族”というレッテルが貼られることになるだろう。小学校、中学校で子供達の造形才能を引き伸ばす努力は捨てられ、教科があったとしても「型」にはめた「ご指導」が主流である。学校には、子供達の才能を自由に展開さすサポーターは、もう居ない。居るのは「金太郎飴」作りの職人だけである。
この列島の住人の創造性は、もっとも得意とする造形の分野でも、ほぼ壊滅状態となっている。創造性のホロコーストである。
(13.05.07.篠原泰正)