独学のススメ(10)
文明という名の硬貨の表には、「進歩・発展・成長」と刻まれている。裏側には一言だけ、「破壊」と彫られている。
文明というものはなにやら空中をさまよっている象徴のようなものではなく、国家機構や経済活動や科学技術の研究開発などの人間活動の結果として具体的な姿を見せる。現在われわれがその下で息をしている近代文明は、その出発点からすでに200年以上の歴史を持ち、またその本質的な性質がグローバルであるため、全地球的規模で推し進められてきた。
日本列島の住人はこの近代文明の存在を知らず-察していたのは蘭学者などほんの少数ー、のんびりと過ごしていたのだが、1853年、黒船の出現で”ガン”と頭を殴られ、先進の西洋諸国にほぼ50年遅れで参加することになる。それでも、初めのうちは緩やかな「進歩・発展」であった。先の太平洋戦争で喧嘩のプロのUSAに足腰立たないぐらい完璧に叩きつぶされた1945年は明治維新(1868)以来わずかに77年目である。
今年、2013年は、そのノックアウトされた年から数えて68年目になる。日本の近代の歴史を1945年を境に前半と後半に分けるなら、現在はすでに後半の後半に差し掛かっていることになる。そして、この列島の住人、私も含むニッポンジンが行なってきた文明の進歩、発展、成長は半端なものではなく、当事者でさえめまいがするほどの速度で展開されてきた。
そのことは、裏を返せば、すさまじい「破壊」の日々、破壊の68年ということになる。私のように今日現在「前期高齢者」という者はこの68年の時間のすべてを見てきたことになり、破壊の数々を目の当たりにしてきたことになる。
この進歩と破壊の速度があまりにも速かったために、いつ生まれたかで区別できる世代間のギャップは極めて大きいものがある。大雑把に言えば、私よりも20年後以降に生まれ育ってきた世代は、周りの環境において私のそれとは大きく異なる。互いに異国で暮らしてきたのかというほどに違いがある。
この列島での文明の発展によって、”君達は素晴しい環境で育ってきた、コングラチュレーション”と言いたいところだが、実際は正反対である。破壊のすさまじさ知るがゆえに”お気の毒”というしかない。
近代文明がもたらした破壊は、目に見える形では、もちろん、この列島の自然破壊に顕著に現れているし、また文明活動の結果として大気の中にCO2が増えすぎ、地球が暖まり、その結果としての全地球規模での自然異変が始まっていることも明らかである。
さらに、自然科学技術のなかでももっともたち(性質)の悪い化学混合物質(chemical compound)によって、個々人の肉体が高度に汚染されているという文明による破壊も良く知られている。(この知識のない人は単にアホであると言いたいところだが、次に述べるように頭が壊されているまたは生育が抑えられている結果の無知と言うべきであろう)
しかし、それらの環境自然や肉体の破壊だけではなく、多分、もっとも恐ろしい破壊は、個々人の頭と心にもたらされている破壊である。頭とは考える力であり、心とは感じる感性である。さらに、この頭と心を掛け合わせての「生きていく力」(生存能力または本能)も随分と壊されてしまっている。
若い世代に対し、”とんでもない環境で生きなければならない、君達大変だね”と言うのは周りから押し寄せている破壊のすごさを知るが故である。同時に、”とんでもない社会にしてしまった、ごめん”という戦犯意識もそこにはある。
学校教育からなにから、(私よりも)若い世代は頼れるものが極端に少なくなっている。Information Technologiesの発展により、多くの若者が現実感覚を失っている。そのようなあれやこれやの中で、一人でがんばって生きていく力をつけなければならない、というのが私のメッセージである。「独学のススメ」というのはその意味である。
(13.04.19.篠原泰正)