独学のススメ(7)
極めて高い解像度のディジタル写真によって、今日、テレビや雑誌や写真集で世界各地の「美しい」風景に、極当たり前に接することができる。そのような画像-これも情報の一種であるが-のおかげで、居ながらにして世界の各地を知った気になってしまうので、実際に旅に出る若者の数が少なくなったのではないかと思われる。簡単に言えば、バーチャルの世界で満腹になり、何も苦労して旅にでるまでも無い、というところだろう。
高度のコンピュータ技術とメモリ価格の下落によって、なるほど画質は驚くほどのものになったが、いくら解像度を上げても伝えられない情報がある。それは実際の世界で接する自然の光であり、空気の臭いであり、風の音であり、それらが一体となってもたらす「雰囲気」という情報である。(これは情報ではなさそうであるがとりあえずそうしておく)こればかりは実際にその場に足を踏み入れて生身の身体で感じるしかない。
画像(静止画)や映像(動画)によって、今日のわれわれは、知ったつもり、わかったつもりになりやすく、そこから、”まあ、世界なんてこんなものですよ、人間なんてしょせんアホですから”なんて、一億総評論家風におちいり(陥り)やすい。われわれは、短い人生のなかで(といっても平均年齢は80歳以上という長さだが)、なにもかも自分で直接に体験することはもちろんできない。それだから、高解像度で伝えてくれる画像・映像は世界を知る上で大事な媒体であるが、そこでの「像」が一面しか伝えていないことを常に承知の上で接することが必要になる。
そのためには、接する画像・映像の万分の一、十万分の一だけ自分で、生身で体験しておくことが大事になる。その体験によって、もたらされる画像・映像の裏にある本物の雰囲気を想像することができるようになる。あるいは、少なくとも、この画像・映像が全てを伝えてくれているものではない、との了解の下で、頭で心で取り扱うことができるようになる。
それだから、実際に旅に出ること、つまり自分で体験する機会をできるだけ多く持つことは大切なことと言える。旅とは学校や書籍では学べない「独学」の場であると言える。その大事な旅に出る若者が減っているという。
旅に出るには、もちろんいくばくかの費用がかかる。そのため、経済的理由(原因)で旅に出たくとも行けないということもあるだろう。しかし、旅する若者が少なくなったのは、経済的理由ではないだろう。少なくとも第一番の理由ではないはずだ。一番の理由は、上に述べたように、ディジタルの情報(画像・映像)の洪水の中で、未知なるものへの興味を持たなくなってしまったところにあるのではないか。新鮮な「驚き」に接する意欲を失ってしまっているのではないか。年齢は若いけれど、その感受性はすでに爺さん婆さんの域に達してしまっているのではなかろうか。若年寄である。
私は15歳から26歳までの10年間、よく旅をした。その大半は一人旅である。仲間と旅をするのを嫌っていたわけではないが、独行を好む。多分典型的B型気質の故であろう。28歳から56歳までは、会社のお金で(出張費)これまたよく旅をした。しかし、出張を「旅」というのはいささかこころのなかでノーという声がする。何らかのビジネス行為の遂行という目的の下での旅は「手段」であり、そこでは速度と効率が求められる。大阪に行くのに、学生時代のようにすべて東海道鈍行列車で行くという贅沢は、そこでは許されない。ヒコーキか新幹線しか選択肢はない。ビジネスの旅はA点からB点への「移動」であり、それは旅ではない。もちろん行った先でわずかに旅の趣を得ることはできる。それでも、東京から福岡日帰り、サンフランシスコからロスアンジェレス日帰りの出張では、行き先の地での旅も得られない。日本列島や世界をあちこち飛び回っても、旅で学ぶことは少なくなる。新鮮な驚きは少なくなり、感性は鈍くなる一方である。
何を語ろうとしているのか。そう、本物の旅は社会人(変な表現で好きではないがとりあえず慣習に従い)になってからはなかなか難しい。それでも、自分ひとりの旅を若いときに経験しておけば、出張の「移動」でも「旅」の趣を得るコツは身に付く。会社のお金で新しい土地にめぐり合えるチャンスを得られるのはありがたい、という余裕が生まれる。
先ほど、世界を飛び回ると大仰な言い方をしたが、私がその地に一日でも足を踏み入れたことのある国の数は20いくつしかない。世界のほんの一部である。それでも、この数少ない経験を拠り所にして、知らない土地の画像・映像から何ほどかの想像をめぐらすことはできる。少なくともその画像・映像だけで「これが真実だ」と思い込む危険は逃れている。
旅は「青空教室」である。しかし、その野外学習に足を踏み出すには、「知らない土地に興味を持つ」という原動力が必要となる。興味が無ければわざわざ苦労して足を踏み出すことも無ければ、会社の出張で見知らぬ土地に出かけても、何も見ず、何も感じず、何も考えないままに終わってしまうだろう。学ぶ原動力の「興味を持つ」が頭と心の中で育っていなければ、バーチャルな世界の中でおぼれているだけで日々が過ぎていくのでないだろうか。
(13.04.07.篠原泰正)