独学のススメ(6)
「独学のススメ」とサブタイトルをつけながらいっこうに「独学」の話が出てこないと思われるかもしれない。「独学」に行き着く前に、背景となる環境の話を続けているのでもう少しお待ちくださいというところだ。
この高度文明社会で生きている人は様々な面から、50年前の時点から見れば異常としか言いようのない、大波を食らっている。IT(Information Technologies)のとんでもない発展のおかげでバーチャル世界が蔓延し、同時に、生身のリアルな社会にアレルギー(拒絶)反応が出ていること、身の回りから自然が消えて、そこに生きる小さな生き物との触れ合いができなくなっていること、テレビというメディアによって映像(動画)情報の洪水の中を泳いでいること、コマーシャルの一大攻撃を受けて脳が洗われてしまっていること、などをこれまでに書いてきた。そろそろ本題に移るべきか。
昨日、朝の地下鉄(9時半後ごろ)で、向かいの席に漫画雑誌を読みふけっている40歳代後半と見られるきちんとした身なりのサラリーマン風の人がいた。恐ろしい風景である。昔現役のサラリーマンであった頃、同年代の管理職(課長とか部長)風のお仲間にはスポーツ新聞愛好家が多かった。タイガースが優勝間際なんて時にはそりゃ私もスポーツ新聞は読むが、普段から毎日スポーツ新聞では、”おいおい、世の中そんなに平和じゃないぜ、経済だってどうなるかわからんよ、勉強したまえお仲間”と心の中でつぶやいていたものだ。
たしかに、当時の、特に大手企業の社員であれば、首を切られる心配はほぼ「皆無」であったから、いまさら勉強する必要を感じない人が大半であったとも思われる。そして、ほぼ全員が、「ばば」を引くことなく、少なくとも60歳まで安泰に会社人生を送り、今はきちんと年金をもらっている。まんまと逃げおおせた世代とも言える。勉強は必要なかったわけだ。それでもさすがにスポーツ新聞どまりで、漫画を読んでいる「オッちゃん」はいなかった。サラリーマンで漫画を読んでいる人種に初め出合ったのは私が40歳前半の頃、20歳台のSE(システムエンジニア)と呼ばれる種族と多く接するようになってからである。昼休みになるとかばんから分厚い漫画雑誌を取り出して読みふけっている姿を良く見たものだ。なんせ仕事でややこしいソフトウエアを扱っているから頭安めに必要なのだろうと理解して、その姿をからかうことも無く眺めていた覚えがある。それが今やオッちゃんまで漫画ときた。
漫画を読む(?)/眺めるということは言葉だけの文章を嫌っていると推察できる。辛気臭い文字だけの世界は御免だ、ということだろう。それだから、書籍だけでなく、今や新聞も怪しくなっている。かつて800万とかの発行部数を誇っていた大新聞も「読む人口」が音を立てて減っていく事態に直面しているのではないか。(もっとも、ジャーナリズムを自ら放棄してしまってお粗末な記事しか載せないから、新聞離れされても仕方がないといえるが、その話はここでのテーマから外れるので深入りしない)
映像の洪水の中で、そして会社ではパワーポイントとエクセルが花盛りの環境にあっては、まともな文章に接する機会はますます少なく、たまに読むと頭が痛くなるのがおち、であろう。そのような状況にあっては、堅い書籍を出版してきた本屋は軒並み倒産の運命に見舞われ、かろうじて生き延びても、事業を続けるには、柔らかい本、漫画で読む日本史とかパワポをフルに使っての図表満載のハウツーものに専念するしかない。
まだ「独学のススメ」まで行き着かない。
(13.04.04.篠原泰正)