本日の朝刊に、昨年2月東京電力が政府事故調査委員会の立ち入り検査において、非常用冷却装置が設置されている1号機の建屋内が”真っ暗であり危険なため入れません”と委員の立ち入りを阻んだ事に対する続報があった。
周知のように、東電は”大津波でやられた、想定外のデカイ波で装置が壊れました”という主張を変えていない。一方、津波が来る前にすでに地震によって冷却装置が壊れてしまい大惨事につながったのではないかという推測が「むら」の外から公表されている。立ち入り検査を試みた調査委員の一人である田中氏がその推測の中心人物であり、事件の2ヵ月後には(11年5月)早くも、当時得られた事実データに基づいてその推論を科学雑誌に発表している。
地震で壊れたということになると、列島のほぼ全ての原発が活断層の上に建てられている現状に「重大な」影響を与えることは必至であるから、「むら」としては何がなんでも「想定外の大津波」で最後まで押し通さなければならない。活断層の上に建っていることは重々承知であるから、極めてロジカルな思考回路といえる。この方針の下に採るべき施策は、当然のことに、”トコトン隠し通せ”となる。
ところが、原子炉設計のプロ中のプロが検査に来るという。どうする。現場を見せればばれる。地震にやられた装置を全部取り壊してスクラップにするのは間に合わなかった。現場は3月11日のままである。困った。頭を絞った末に採用された策は、”電気がついていなく真っ暗なので極めて危険でございます。命の保証はしかねます。それでも見たいですか”と脅かすというものであった。
ロジカルに進めて隠し通せなくなったときの行動は、「むら」という生物体の生理に基づいての本能による。その証拠に、”真っ暗ですと嘘をついたのは「意図的」なものではなかった、ごめんなさい”という釈明にある。ロジカルな「意図」に基づかない嘘とは、まったくの冗談で嘘をついたのでなければ、自分も気がつかない内に、つまり頭脳が反応したのではなく、防御本能が自然に働いたということしかない。後で嘘がばればれになったときどうするか、まではその時には考えない。考える前に身体が反応するわけだ。
このことからみても、この集団(むら)の行動様式は、社会科学的論理(政治学、経済学等々による)だけでは解明は難しいことがわかる。生物に備わっている自己防衛本能あるいは生理的拒絶反応の面から見る必要があることがわかる。なお付け加えれば、この列島固有の「文化」面から解析するアプローチも一面では有効であろうけれど、難しいのではなかろうか。あるいは、ゴリラやチンパンジーの生態研究を元にした「文化人類学」分野で世界一番の京都大学に出張ってもらえれば、文化面からの解析で何ほどかの答えが得られるのかもしれない。
(13.02.08.篠原泰正)