職人のくに(3)
戦後10年ほどの頃(1955年前後)、神武景気という好景気があった。神武(天皇)以来、すなわち天地開闢以来の好景気ということでウハウハと舞い上がってこの名が付けられたような記憶がある。そのあと1964年の東京オリンピックがまた一つの契機となり、そして1970年前後の田中角栄の「列島改造」がはじまる。
何を言おうとしているのか。ほぼこの期間に、明治になっても消えなかった何百年と続いてきた多くの生活のやり方が消えていったということを言いたかった。個人的な経験で言えば、私の中学・高校生あたりまでは周りの景色は「昔の」日本が色濃く残っていた、と後から考えると言える。その景色の消滅は、生活様式からみれば周りから職人と小商い(こあきない)の商店が消えていったところにあり、体験はしていないが農村の人口が音を立てて減っていったところにある。高度成長とは、裏からみれば、伝統的生活様式、特に何で食っていくかという面での伝統の消滅を意味していた。
職人や小商店の消滅は社会の色彩から多様性が失われていくことであり、地域における人間のつながり(触れ合い)が無くなっていくことであり、社会全体の温度が冷え冷えとしていくことであった。
職人という職業形態、あるいは生活様式がこの列島の文化、特に都市文化を華やかに色づけていたが、彼らが消えていくと共に都市の色も無機質的ななんともいえない灰色がかった色合いに変化していった。同時に、例えば東京で存在した山の手と下町の区別(雰囲気の違い)も薄くなり、東京全体がのっぺらな印象を持つようになった。今となれば、江戸落語で語られる多くの話が実感を伴わない単なる「古典」となって場面場面を想像するのも難しくなっている。
この変化を「世の中の進歩」で片付けてしまっていいものだろうか。この流れは本当に「必然」なのか。会話のない、無表情の、灰色の社会が「進歩」の結果というのは哀し過ぎやしないか。
職人のルネサンス(復活)は無理なのだろうか。ありえないのだろうか。大資本・大企業・大量生産・大量消費・使い捨ての「高度成長」を50年続けてきて、今、多くの面で行き詰っているのではないか。何で食っていけばいいのか見えなくなっているのではないか。
昔のままに戻れとまでは言わないが、一人一人が手に職をつけて、その職でもってまずまずなんとか生きていく様式を取り戻すことは可能なのではないか。あるいはそれ以外のやり方があるのだろうか。一度壊した様式は復活できないのだろうか。
どうやって飯を食っていくのか。その答えを私は職人の復活に見出したい。そしてここでいう職人とはたとえ組織に属していても自分の腕で食っている「自営業」を意味している。そのような意識で、まず、子供のころ私の周りにまだ存在していたあきれるほど多彩な職業の姿を書きとめるところか始めようと思う。
(12.11.12.篠原泰正)