職人のくに(シリーズ)(1)
私は自分を「職人」とみなしている。とはいえ、手に職があるわけではなく、もっぱら頭を武器にしての変な職人ではある。もともと本で読むところの江戸の職人の生き方に子供の頃(中学生)から憧れを抱いていたり、ミニ大工道具一式を揃えるほどに木工が得意で、学校からの帰り道に新築中の家があったりすると飽きずに眺めているなどの性質を持っていた。
ところが、少年の夢かなわず、食っていくためには会社勤めを余儀なくされてから、自分の存在を自分に対していかに正当付けるかという課題に出会うことになる。実際はどこから見ても紛れもなく「サラリーマン」なのだが、そうはなりたくないという思いが強く、そこで無理やり編み出したのは、自分はプロフェッショナル(職人)であり、その能力を対価に会社から報酬をもらっている存在であると位置づけた。であるから、心の中では、会社とは毎年契約を更新しているつもりであるし、会社がこちらの能力に疑問があればいつでもその契約は捨てられる立場にあると考えるようにした。
もっとも、いささかかっこよくそのように述べたけれど、私の裏半分は江戸の職人と同じように「遊び人」であるから、折からの高度成長の波にのって、植木等のごとく気楽なサラリーマン稼業で過ごしていただけともいえる。
ついでに言えば、村落共同体の如き、家族の如き日本の会社をやめて外国資本の会社にぺいぺいの重役として移ってからは、毎年の契約更新は現実味を帯びるようになり、実際、いつ首を宣告されてもおかしくない立場であることを身をもって味わうことになる。本物の職人になれたというべきかもしれぬ。
前置きが長くなってしまったが、これから何回かに分けて、「職人」の話をしたい。もっともここでいう職人とは世の中で定義が定まっているそれではなく、もっともっと範囲を広げてのものである。簡単に定義すれば、美の感性と技能(腕)と頭脳の三つの構成要素の総合力で報酬を得て生活している人ということになる。そして更に言えば、それらの要素の中核に「名こそ惜しけれ」という美学をもっている人を職人という。しかし、この美学はなにも難しいものではなく、自分という存在に誇りをもっており、その誇りにかけていい加減な仕事はしない、というぐらいのものである。これは昔の日本人であれば庶民の端々にいたるまで誰でも多かれ少なかれもっていた精神の核である。
ついでに付け加えれば、なんでこのような話をするのかと言えば、この日本列島の住人が現在の文明の在り様あるいは様式を突き抜けていくには、「職人」であることがもっとも可能性があるのではないかという思いから来ている。あるいはもっと具体的に言えば、これからは大きな会社のサラリーマンとしてお気楽な中流市民として生きるなどというありがたい時代ではなくなりつつあるから、腕と感性と頭を鍛えて、世界のどこででも生きられる「職人」にならないと飯を食いっぱぐれるよ、と叱咤激励したいからでもある。
(12.11.07.篠原泰正)