近代文明とラテン文化(4)
ピレネーの南からアフリカが始まるという言葉があるように、スペインはヨーロッパの中で異質である。あるいはスペインからみればピレネーの向こうのヨーロッパはなんか変だ、ということになるのだろう。そのスペインでは「効率」(efficiency)、「効率的」(efficient)という言葉はあるのだろうか。私の手許にある「スペイン基本語5000」という辞書には無い。大きな辞書にはあるのだろうけれど、ともかくポピュラーな言葉ではない。そりゃそうだ。生活を「効率的に」楽しむ、女性を「効率的に」口説くなどという方法は存立しえない。
スペインだけでなく、イタリアでも同じだろう。昔、オリベッティの社長が、”わが社の工場で従業員があのおしゃべりをもう少し控えてくれれば、生産「効率」は少なくとも30%は向上するのだが”と嘆いた話を聞いたことがある。そのニュアンスには非難している風はなく、嘆きながらもそれらおしゃべり社員を容認している感じがある。
もっともおしゃべりが過ぎたのかなんだか、メカニカルタイプライタでは一世を風靡(ふうび)した(*死語?)オリベッティであったが、ディジタルの時代に適応することができず消えていってしまった。暴力的「効率化」の犠牲になったとも言える。
もう30年以上の昔になるが、このオリベッティの発祥の地、北イタリア(アルプスの南麓)にあるイブレア(Ivrea)という町で奇妙なホテルに泊まったことがある。自分で選んだのではなく、提携先の会社が手配してくれた。なんでもオリベッティの著名のデザイナが設計したとかで、部屋の中が3階建てでなんだか潜水艦の中にいるが如きであった。トイレ・洗面所は部屋の真ん中にある円柱の中にありその場を探り当てるだけで大汗かくほどの奇妙さである。多分、冗談の好きな「しのさん」のことだから気に入るだろうと手配してくれたらしい。事実、大いに気に入ったが、あらゆる片隅に設けられている引き出しに喜んであれこれ仕舞ったものだから、チェックアウトの時は忘れ物がないか部屋中を「点検」して回る騒ぎとなった。
話は飛んでしまったが、オリベッティは私の好きな会社であった。会社も人間臭く、製品も手作りのぬくもりがあった。つまり、どこを叩いても、「効率的」ではなかった。
「効率」はゲルマン/アングロサクソン式近代文明の中心テーマの一つである。効率なくしてこの近代文明は存立しえない。それゆえ、しばしば、人間は「効率」の道具、「効率」の手足としてのみ扱われることになる。1人力のパワーを有する一つの構成要素と化す。効率的であらねばならぬという神(近代文明)の教えにあがらうことは許されない。
そのため、この文明の最先端を突っ走る社会においては、人は何かの「目的」達成に向けて「効率的に」1時間も無駄にすることなく走ることを要求される。その効率列車に乗り遅れたひとは落ちこぼれとしてフーテンをなりわい(生業)とすることになる。
それだから、イギリスやドイツやアメリカの「効率化の権化」のような人々からみれば、スペインやイタリアはフーテン地域の如くに見えるのだろう。どちらの側が生きることを楽しむわざ(技/業)に優れているかは、ここまで書いてきた中で既に明らかであろう。
(篠原泰正 12.10.04.)