生き延びる12
「お上」の言いつけを守り、「お上」の言うことをそのまま信じ、ムラのなかで何が生じても、”これはおかしい”とか”これでは駄目だからカイゼンしましょう”なんてことを言わずに、波風立てずにおとなしくしていることが最も安全な生存の道としていると、ある日突然、命を奪われかねない。前の戦争では、ある日突然軍隊に放り込まれて、300万人の市民が命を失った。40歳を越えているからまさか赤紙は来ないだろうと思っていた商店のおやじが、突然招集され、あろうことか戦艦大和に三等水平として乗せられ、軍隊生活数ヶ月後に九州南の海に水没するなんて悲劇さえ起きた。
仙台から三陸地方の海沿いに住んでいれば、大きな地震は津波を伴う場合があることは常識だったはずだ。それなのに、素早く逃げていれば助かったはずなのに、逃げ遅れて津波で命を亡くした方が多かったようなのはまったく残念だ。なぜ逃げ遅れたのか。それは様々な要因の絡み合いの結果であろうけれど、考えると:
①東北太平洋岸が津波の名所である事実を知らなかった;-自分で本を読まない、学校で教えてもらっていない、など
②気象庁の甘い予測を信じてまあ大丈夫とたかをくくっていた、
③防災無線が聞こえなかった、
などなどいくつも挙げられるだろう。
それらの逃げ遅れの要因のなかで特徴的なのは、「上からの」通知に頼る姿勢がある。言いつけを守っていれば生きられるという「甘い」環境の中に浸っていると、命にかかわる大事の際にもその癖から抜け出せない。
さらに、周りの人の目を気にして自分独自の行動に出られない、ということもあったろう。周りの人が”大丈夫”とか”ここまでは来ないわよ”など何をしゃべっていてもそれには関わらず、自分の頭で判断して、やばいと思えば自分だけであっても逃げ出す「勇気」に欠けていた。ムラの中で「傍目(はため)」を気にしながら生きてきた習性で、異常事態に面しても自分の判断で独自の行動をとることができない。幸い津波が来なかった場合、自分だけ近くの丘の上に逃げたことを笑われるののが怖い。笑われたくないために命を落としてしまっては悲劇が二倍にも三倍にもなる。
群れの中の一員で平和に過ごしていると、生き延びるという覚悟が育たない。何が何でも、自分だけでも生き延びるという強い意思が育たない。そして、生き延びるための腕(能力)が磨かれない。
多少目つきが悪くなろうとも、とっさの場合に素早い行動が取れるように普段から自分を鍛えておかないと、残念な死を招くことにもなりかねない。
(12.06.20.篠原泰正)