生き延びる12
もう随分昔の話になるが、30代の数年、横浜市の南端にある六浦という地に住んでいたことがある。京浜急行の本線にある金沢八景から支線の逗子行きに乗り換えると一つ目の駅が六浦である。11月か12月のある晩遅くホームに降り立つと、数人先を酔っ払いのおじさんがふらふらしながら歩きはじめ、動き始めた電車にごん、ごんと接触した。これは危ない、ととっさの動きでおじさんのコートの腕をつかまえるのと同時に、彼は車両と車両の間に吸い込まれそうになった。その勢いにあがらって、私としては全力で引っ張ったものだから、二人ともホームに倒れ込んでしまった。
この倒れた二人の横を、同じサラリーマン族が見ぬ振りしてすいすいと通り越していく。ようやく一人が後方から駆けてきて、この酔っ払いのおじさんに、”あなた、わかりますか、今あなたはこの人に命助けられたんですよ!”と諭して(さとして)くれた。おじさんも意識はあるらしく(なければ電車で帰るなんてできないだろう)”はいはい、ありがとうございます”とかなんとか酔っ払いのくせで何度もうなずきながら立ち上がり改札に向かって行った。
そのときの私の気持ちは、人を助けたというより、”何で俺みたいなびっこひいて歩いている者が助けに出なければならないんだ”といういささかの怒りと、”何人も何人も、どうして見て見ぬ振りしてすいすいと横を通り過ぎていくのだ”というなにやら絶望的、日本人に対する絶望的な思いで暗くなっていた。(そのため、この出来事ははっきり覚えている)
私自身は幼時にわずらった小児麻痺の後遺症で右足が不全であるが、自慢じゃないが(しているか)割合運動神経は良いほうである。小学生の時熱中していた野球のおかげもあるのだろう。とっさの動きは頭が指令を出す前に出てくるらしい。
この経験と似た体験を、これは数年前のことだが、有楽町駅前の歩道でした。駅の西側の大名小路を横切る歩道を渡り始めたとき、何人か前を、多分脳性まひの後遺症を持つ女性が歩いていたのだが、降り始めた小雨で歩道の縞模様が滑りやすくなっていたのだろう、転んでしまった。自分で気がついたときは、私はすでにこの女性の腕に手を掛けて助け起こそうとしていた。しかし、何たること、ステッキついて歩いている年寄りの力及ばずで起こせない。そこに、ありがたいことに、駅前のビック入り口でビラを配っていた若者がすっ飛んできて、この女性を抱え起こし無事に向こう側まで運んでくれた。
残念なのは、自力で立ち上がれない障害をもった女性とそれを起こそうと片手にステッキもってひざ突いている白髪頭のおっさんの横を、何人も何人も、ダークスーツのサラリーマンが見て見ぬ振りして通り過ぎていくことだった。日本人というのはどこかおかしい。先に述べた六浦駅事件も、この有楽町駅前事件も、これが外国、例えばアメリカ、スペイン、イタリア、メキシコであれば、断言してもいいが、びっこひいて歩いているおっさんの出る幕などまったくなく、その場にいた何人もが素早く手を差し伸べていたはずだ。
とっさの行動に鈍い。二つのケースとも、近くに居合わせた人が全員その心が冷たいわけではない。”やばい!”と思いながら身体が動かない。なぜだ。他人からどのような目で見られるかの意識が先にたって、足が前を向かない。他人がなんと思うと俺は俺、という覚悟が普段からできていない。それが、とっさにとるべき当たり前の行動を制止し、こんどはその自分に嫌気が差して、現場を見て見ぬ振りして通り過ぎていくことになる。
厳しい世の中を生き抜いていく上で、このとっさの行動に出られない習性は大きなマイナス作用として働くことになる。
(12.06.19.篠原泰正)