困った!「放射能汚染土」の処分
2011年,最後の「発明くん便り」です。2011年は地震、津波、放射能の3点セットで「くら~い」1年となりました。「発明くん便りの」締めくくりは放射能汚染とします。
市道と我家の境界に側溝がある。この側溝は市道の雨水を下水道に流すためにある。この側溝は、なぜか上蓋が無い。枯葉、泥、石ころ等が雨水と共に側溝へ落ちる。この側溝へゴミまで投げ捨てる輩がいるのには呆れるが。雨水だけを下水道へ流す対策として側溝の途中で「ステンレス金網」を自分達で施している。勿論、この網に引っ掛かったゴミの取り出し作業は自分達で行っている。
10月下旬、この側溝の放射線量を計測したら、なんと!5マイクロシーベルトを記録した。驚いて早速、市役所へ報告した。速やかな行動とは言い難いが市役所の職員さん一応、測定しに来てくれた。しかし測定の結果「確かに高いですね」で終わり。処理はどうしてくれるの?と聞いたが「政府からの指示を待っています」で終わり。そのまま放置された状態で、その後の連絡は無い。
側溝の「放射能汚染土」は,どうも我家の所有物らしい。詰まり放射線物質は天から授かった財産あるから大事に保管をしてください。これが政府の方針のようだ。嫌であれば所有者が処理をする必要があるようだ。このまま、放置し続けるするわけにはいかない。仕方が無い、完全武装をして11月中旬、側溝の「放射能汚染土」を厚いポリ袋ヘ入れて更にポリバケツ(大きいサイズ)ヘ容れ込んだ。取り合えず、そのポリバケツ2杯を車庫の隅へ隔離しているが、5マイクロシーベルトは減るわけではない。隣家のご主人がこの「放射能汚染土」の引き取りを「しつこく、しつこく」市役所と掛け合ってくれた。どうにか12月17日(土)に引き取ってくれそうである。
但し引き取るのは「放射能汚染土」だけで他のゴミ(衣類等)は引き取れない、とのこと。「放射能汚染土」以外のゴミ処理は担当部署が違うらしい。「側溝上蓋」の陳情も担当部署が違うらしい。面倒なので自己負担で上蓋(約40枚)をすることにした。東電へ請求できないかな・因みに自分が住んでいる街は「ホットスポト」で有名な柏市である。誠に不名誉なことである。もう一つ有名なのはJリーグで優勝した柏レイソルであるが、こちらは誠に名誉なことである。
「放射能汚染土」の処分は大きな研究テーマ(課題)となっている。日本人は自ら研究テーマを探索するのは苦手であると言われているが研究テーマが見つかればチーム力で、その課題を解決をする能力は際立っている。恐らくは日本人科学者達が世界に先駆けて「放射能汚染土」の処理技術を開発するであろう。日本が再び復興するには条件がある。それは日本人技術者が持つの知的資産の活用がうまく活かされた時である。この知的資産をドキュメント化(知的財産化)して、この文書を商品として世界から金を稼げる仕組みを早急に構築すべきである。日本発の技術は大変な価値がある。しかしその価値を貶めているのが曖昧、意味不明の世界で通用しないドキュメント(特許明細書)の酷さにある。
研究テーマ(課題)がたくさん有った「黎明期・成長期」は既に終わり、日本は成熟・衰退期」を迎えている。翻せば日本は独創的な技術が生まなければならない土壌を作らなければならない。しかし「独創的研究テーマ」は独創的で有れば有るほど企業の中では異端であり「ボツ」となる可能性が高い。その理由は何もかもが場当たり的で経済性、効率だけを求めるリーダの劣化がある。世界の投資家が日本へ投資するのは日本国家(政治家、官僚のファーム)やリーダではない。何があっても頑張り抜く「勤勉日本人」「暴動を起さない日本人」への信頼である(このまま円高は続くであろう)。日本人への期待の中に日本人が持つ「知的資産」がある。この知的資産が日本復興の資源であろう。しかし、この知的資産をドキュメント落とし込んで「知的財産化」することが出来ていない。誠に残念なことである(2011年12月16日・矢間伸次)。