仕様書にまとめると、それが知的財産
旧帝国海軍において、輸送機の中でもっとも働いたのは、零式輸送機である。
このヒコーキは、戦前、米国ダグラス社(Douglas)から製造ライセンスを受けて、国内で生産したものである。見事な働きをしたのも当然で、元はかの有名なDC-3である。「空の神兵」と謳われた海軍落下傘部隊も確かこの機体を使っていたはずだ。この旅客機は、多分世界でもっとも長く使われたチャンピオンであり、1935年の初飛行以来、日本でもついこの間まで、といっても20年前ぐらいか、地方の路線で見かけることができた。南米あたりではまだ飛んでいるという話も聞く。私も一度は乗ってみたかった機体だが、残念ながらそのチャンスにめぐり合ったのは、家族の中でヒコーキに何の興味もない長兄(商社マン)だけであった。
「零式」とは言うまでもなく、「零式戦闘機・ゼロセン」と同じように、皇紀2600年(1940年、昭和15年)に海軍に制式に採用になったことを示す。米軍でもこのDC-3は輸送機として何千機もが、C-47、通称ダコタ(Dakota)として活躍した。まことに名機の一つである。総生産量は1万機を超える。
今、これを書きながら、念のため、重宝している「Wikipedia」という無料の百科事典をみると、日本は昭和航空機会社が、製造ライセンスを受けずに合計485機生産したと書いてある。これが本当の話なら、ヤバイ話で、現在の中国の丸ごとコピーを非難したり笑ったりしていられない。そういえば、以前から疑問だったのだが、ゼロセンが搭載していたスイスのエリコン社製の20ミリ機関砲は製造ライセンスを受けていたのだろうか。三菱はライセンス料をキチンと払っていたのだろうか。
話があらぬ方向に行きそうだが、書こうとしていたのは、製造ライセンスと特許の関係で、私の理解では、そこに特許が取得されていようといまいと、優秀な製品は、製造ライセンスということで、たくさん売れれば、大きなライセンス料を手にする事ができるものだ、ということである。現に、今でも、ロッキード(Lockheed)の戦闘機などは、日本のメーカーから巨額のライセンス料を巻き上げているようだ。
闇で丸ごとコピーされてはどうしようもないが、特許があろうとなかろうと、同じものを作って販売したいという人がいれば、製造ライセンスを与えてライセンス料を取るビジネスが可能になる。そのためには、製品仕様書と製造仕様書が、キチンと英語で書かれてなければ、せっかくのビジネスチャンスも逃すことになるだろうし、また、チャンスが生まれることもないかも知れない。製品とは、何もDC-3や戦闘機のような大物ばかりでなく、小さな発明に基づく小さな製品でも充分にチャンスがある。さらに、これらの製品は何もハイテク関連に限らず、極めてローテクであっても、また工業製品ではなく手工業製品に近いものであっても、世界の中で必要とする人が多くいれば、ビジネスの可能性があるだろう。
さらに、何も製品に限らず、例えば、日本の井戸掘り技術を「井戸掘りの方法に関する仕様書」としてまとめておけば(英文で)、真水に不足している世界の各地から大きな需要があるだろう。もちろん、そのような需要は、ほとんどが極めて貧しい地域からのもので、ライセンス料など取れはしないだろうが、50年後の出世払いでもいいではないか。私は井戸掘りに関して知識がほとんどないが、佐渡の金山から延々と続く井戸堀、特に温泉堀の技能は、地方にまだ残っているのではないだろうか。地方自治体がその方法を仕様書にまとめて世界に公開すれば、多くの人から感謝されるのではないだろうか。
世界の石油の5%も消費しているせめてもの罪滅ぼしに、それぐらいしてもよさそうだし、このような努力をして初めて日本は「先進国」としての存在が世界から認められることになるのでは、と思ったりする。欧米の「銭転がし屋」の真似をして、「株式は市場で売られているのだから、買い占めて何が悪い、アタシャどうにも理解できない」、などと真顔でのたまう「社会的未熟児」の言動ばかりがニューズ面をにぎわしているこのごろの世相には、清涼剤も欲しくなり、脈絡もないことを書いてしまった。
(05.10.29. 篠原泰正)