18日未明、”ぎゃー、やられたあー!”という絶叫で飛び起きた。優勝をかけてのなでしこジャパンと米国チームの決戦の後半、アメリカに先取された瞬間の家内の叫びであり、侵入してきた強盗にやられたわけではなかった。目がすっかり覚めてしまったのでその後は私もテレビで応援することにし、PK戦の末の劇的勝利の瞬間を楽しむことができた。(歳をとると涙もろくなるので、TVの画面がぼやけた)。
なでしこの勝利は、ワールドカップの頂点を極めたという画期だけでなく、文明と文化の関係の上でのきわめて明るい出来事であった。つまり、フットボール(Football)という世界共通の競技、そのルールを理解し従うつもりであれば誰でも参加できる(お金の問題は別にして)文明としての競技において、体格において劣る日本勢が欧米の強豪国をなぎ倒してきた事実は様々な面においてこれからの途を考える上での明るい材料と言える。
簡単に言えば、世界共通ルールの上で「日本」という「文化」をはっきりと示した。その文化とは、まず第一に、これまでいろいろな団体競技で日本チームが常に示してきた「和」をベースにしたものであり、今回のW杯におけるなでしこではリズミカルなパス回しに表現されていた。
その「和」だけでは、これまで、世界、特に欧米の中で勝つことができなかったのだが、今回のなでしこでは、選手それぞれの「個性」が極めてはっきりと出ていた。これまでの日本組に欠けていた”俺が俺が”(今回は女性であるから”アタシがアタシが”であろうか)のでしゃばりが見られ、それは特にゴール前の強烈なシュートに出ていた。大野選手の突進とゴール、丸山選手のポスト横からの強烈な叩き込み、そして何よりも私が感動したのは、川澄選手の遠距離砲であった。「和」の中に「個」が埋没せずに、ここぞというときには”アタシがやる!”という強烈な自己主張があった。これほど嬉しいことはない。
さらに、「和」の中の「個」だけでは頂点までは行けなかったであろう。技術(技能)を磨き上げてきた強い自信があったればこそ、実際の得点に結びつけることができた。中でも印象的だったのは、にこりともせずに正確無比のシュートを蹴る宮間選手の存在であった。日本文化を形作る大きな特徴のひとつである「職人芸」が、世界の舞台で、素人にもわかる腕前(足前?)で示してくれた。
このように、フットボール競技という文明の上で、明らかに日本組でしか示せない「文化」を前面に出して戦ったところが、国内だけでなく世界の共感を得たのではなかろうか。単に欧米の真似ではなく、共通のルールという文明の土台の上で、調和と個性とわざを見事に練り合わせた「日本式」(文化)を世界に示したのが今回のなでしこジャパンであったといえよう。さらにいえば、スポーツにおける日本チームのフェアプレイの精神は昔から師匠の欧米をしのぐものがあり、例えばラグビーでは、今や本来のフェアプレイを実践しているのは世界において日本のチーム(全国のチームすべて)だけではなかろうか、といわれるまでになっている。今回のなでしこがフェアプレイ賞ももらったのも当然である。
社会の面でこの文明と文化の在り様を眺めると、残念ながら、そこにはなでしこジャパンの姿はない。
例えば、特許制度という世界共通の文明システムの中での日本の特許は見るも無残な「日本式」のみで出来上がっており、ワールドカップへの出場権はどこから見ても得られそうにない。
特許の出願というのは以下に示す部分で構成されており、これは何も特許に限らず、他者に説明する上での共通ルールに基づいている。すなわち、対象と目的が何であれ、他者に説明するには論理的に行わねばならないという共通のルール(文明)に基づいている:
①何ゆえにこの発明をなしたのかその背景を説明する、
②発明の全体像を示す、
③その発明が実際にどのようにありうるかの例を具体的に示す、
④その上で、この発明に基づいて、私はどの部分を権利として獲得したいかをクレーム(主張・請求)する。
このように、④のクレーム部分は独立しているから、審査の過程で部分が削られても、発明の説明記述部分(明細書本文)にはなんら影響しない。
ところが、日本での特許出願では、まずはじめにクレーム(請求項)が示され、発明の内容説明はしばしば、請求項の「説明」として記述されている(その多くは請求項の文言のコピーである)。このような形態は、どう逆立ちして眺めても「論理的」に成り立つものではない。ついでに言えば、日本の特許出願は、発明の内容説明を「請求項」で行っているので、権利を主張している部分がどれなのかはっきりしなくなる。のっぺらぼうに述べられたものとなっている。このような、日本でしか見られない形式で構成されているため、例えば、審査の過程で請求項が削られたりすると、”請求項何番はXXである”という発明内容説明記述(明細書本文部分)も削除しなければ全体の中でつじつまが合わなくなる。
簡単に言えば、日本での特許出願に提出される「特許明細書(請求項含む)」のルールは世界の共通ルール(論理的であることに基づいた)から外れており、したがってワールドカップには参加できないということである。国内での競技人口の数(関係者の数)と試合数(出願数)だけを見ればアメリカに並ぶほどであるが、ローカルの数を誇っても仕方なかろう。
なでしこジャパンが示してくれたところの、世界の文明システムの上で、日本色を消さず、それどころかそれを強調しながら、こうすれば日本組も勝てる、という道筋に絡めて、次回もう少し、社会と経済面でのいくつかを考察したい。上に述べた特許システムの話は、別に特異な分野の話ではない。
(11.07.19.篠原泰正)