3.11の福島原発崩壊は、この列島のまともな住人誰もにとって、様々なことを考えさせる画期的な出来事であった。その様々な事のひとつに、前にもこの場で書いたが、目に見えないミクロ・ナノの物体の危険性がある。この原発事故を単に電力供給量の問題としてしかとらえられない単細胞で出来上がった頭の持ち主もいるようだけれど、多くの人が放射性物質という目に見えない物体の恐ろしさを感じることになった。
この「3.11福島原発」は、振り返ってみれば、ちょうど66年前、アメリカニューメキシコ州ロスアラモスでの原子爆弾実験成功以来、近代技術工業文明の主役の一人に化学(chemistry)・物理学(physics)に基づく各種製品が登場してきたそのひとつの結末であるとみなすことができる。戦後世界を近代科学技術文明の視点から眺めれば、この66年は化学・物理学工業の時代であったと区分することができるだろう。それだけの影響を人間を含む地球上の生物に与えてきたことになる。
この化学・物理学工業の、最初から今に至るまでのトップランナーは国としてのUSAおよびそこでの大企業であった。このアメリカの科学技術のすばらしさに目を回した日本列島の住人が何でもかんでも、深く考えることなく、この輝ける化学・物理学工業に飛びついたのも当然と言えるし、また何ほどかのたくらみもあって、先生のUSAからの「教育的指導」を推進力として発展させてきた面もある。
福島事故がわれわれに示してくれたのは、この様に目に見えない微細の世界の恐怖体がこの世には存在するという事実であり、それらの世界のプロフェッショナルであるはずの学者先生方のほとんどが頼りにならないという事実であり、政府(行政機関)という存在は自分たちに都合の悪いデータは隠すものである(古今東西そうであるから今更気がついたというのもノー天気過ぎるが)という事実である。
そこから得られた教訓あるいはそれへの対応策は、自分の身は自分で守るしかない、ということであり、これは特に幼い子供を持つ母親においては切実な対応となっている。そして、この対応策をとるにあたってはたと気がつくのは、この化学・物理学世界がもたらすミクロ・ナノの世界の難しさである。
高校3年の時、化学の試験結果で危うく落第しそうになった(実際の採点は20点ぐらいのところを赤点(49点)にならないよう教師が水増し採点で50点つけてくれたので救われた)私は、この事実からわかるとおり化学・物理学の世界を理解する頭脳を持たない。しかし、1970年ごろ、レイチェル・カールソンさんの「沈黙の春」を読んで以来、この目に見えない世界の恐ろしさは常に頭の片隅にあった。そして、今、もう歳だから、高濃度の放射性物質を含む福島県産の牛肉をいくら食べても食べなくても結果に変りはない身だが、勉強はもう少し続けるつもりになっている。
もちろん、私も、不安に怯える母親たち(のほとんど)もこの世界には暗いので、そこに必要となる存在は、市民の立場で取り組みわかりやすく解説および指導をしてくれる科学者である。気がつけば、この列島にはこの種の学者があまりにも少ないようである。いや、私が知らないだけで、多くの市民派科学者が地道な活動を各地で続けているのではないかと期待すべきかも知れない。ともかく、アカデミーや企業や行政の村に属さず(属していても本当のところを語ってくれれば結構だが、そんなことをしたら村八分の憂き目にあう事が99%の確率であるのでむやみにお願いできない)市民の目線で市民の安全のために語ってくれる科学者の存在を目立つようにしていってもらいたいと願いたい。
目に見えない物体の脅威は、放射性物質や大気の中の汚染・有害物質のほかに、「沈黙の春」の主体である殺虫剤(pesticide)や除草剤(herbicide)にも当てはまる。ある種の生物、害虫とか雑草だけを殺す物質が本当に特定の生物だけにのみ作用するという話は本質的に納得できるものではない。一般人の常識から言えば、ある生物(生命体)を殺せる作用を持つならその他の生物には効かないという理屈はありえない。
本日のニューヨークタイムズに昨年10月に販売許可が下りたデュポン(DuPont)社製の新種の除草剤(製品名:Imprelis)が芝生の中の雑草だけでなく周りの立ち木も枯らしているのではないかと問題になっているとする記事がある。この薬はゴルフ場や公園などの芝生を管理する造園業者(landscaper)にのみ販売が許されているとのことで、これまでの薬よりも”環境にやさしいenvironmentally friendly”のが売り文句とされている。これまでにも、ゴルフ場に撒かれる除草剤による地下水汚染は欧米で問題にされてきたが、この新型薬品は多分そこでの課題を克服したはずのものなのだろう。しかし、雑草だけ選んで殺す結構な化学薬品などありうるのか。人間を含むその他の生物に本当に「人畜無害」なのだろうか。
DDTのように初めて見たときには科学文明の華と思えたこの化学・物理学工業の成果物が半世紀以上土壌と水に紛れ込んできている。ホンマに大丈夫か、という答えを得るためには、まず自分でできるだけ勉強をするところからはじめざるを得ない。私のように化学の試験で赤点取っているようでは、自分はともかく子供たちを守れないことになりかねない。高度の科学技術の成果として、今われわれはその目に見えない危険なやつの影に怯えながら暮らしていくことからどうやって抜け出すか。あるいは高度の文明社会に生きている限り目に見えない恐怖から逃れるすべはないのか。
(11.07.15.篠原泰正)