この列島の住人が「西洋」という時、その中心はどの国を描いているだろうか。
私が入学した高校はその年の10年前(昭和24年、1949年)まで大学予科(旧制高校に相当)であったため、まだその制度の名残があちこちにあり、第2外国語という教科もあった。生徒の誰もが、ドイツ語(6クラス)かフランス語(3クラス)かロシア語(1クラス)のどれかを選ばねばならない。これに第1外国語の英語を加えれば、これが戦前までの日本における「西洋」であった。日本(Gippan/Gipang/Giappone)の存在を西洋に初めて紹介してくれたマルコ・ポロ(Marco Polo-ベニスの人)のイタリア語も、16世紀の大航海時代に鉄砲(種子島)をもたらしたポルトガル人の船長の言葉もイエズス会士のスペイン語も、そして江戸時代の小さな窓であったオランダ語もすでに「西洋」の主要言語から外れていたことがわかる。
オランダ語は、慶応の福沢諭吉がこれからは「英語」だと気がついた時から西洋言語の首座からすべり落ち、ポルトガルとスペインは19世紀半ばにはすでに帝国としては昔日の面影もなく落ちぶれていたのでこのイベリア半島の2言語は幕末から今に至るまで西洋のメイン言語の場を得られないままである。イタリアは当時幕末のころは統一国ではなく(今でも統一という言葉を嫌う最先鋒の民族がイタリアである)、したがって明治政府の視野の外にあった。
私の高校ではドイツ語を選択した生徒は、すべて一般論であるが、まじめ・堅物であり、フランス語を学ぶやつはすべて「軟派」とみなされ、ロシア語を勉強しているのは変人扱いであった。
ロシアは、幕末からずっと、この列島の住人にとっては特別な存在であった。それは帝政ロシアとしての北方の脅威から始まり、ソビエトロシアとなってからは赤軍の脅威(特に陸軍関東軍にとって)、敗戦後はシベリア抑留に代表される全体主義国家の恐怖などであるが、明治以来ロシア文学にほれ込む人も少しはいた。
フランスは、薩長の粗野な志士よりも挙措優雅な幕府の高官の方が性に合っていたためか、あるいは不倶戴天のイギリスが薩長側についたので張り合うためか、ともかく幕府側についたために明治政府の受け入れるところとはならず、この列島におけるフランスファンはもっぱら芸術を愛する「軟派」の民間人にのみ限られてきた。幕末から明治にかけて日本の文化の価値を認め、自国の芸術にも大きな影響を与えるほどほれ込んだのはこのフランスであり、イギリスとアメリカは日本「文化」のぶの字も理解しようとしなかった。話は飛ぶが、文学部のフランス文学科(通称仏文)は大学の華であり、一方独文(ドイツ文学科)は野暮の骨頂とみなされていた。(女子学生も粋な仏文と野暮な独文とレッテルが貼られていた)
旧帝国陸軍の模範はドイツであった。これは1870年(明治3年)の普仏戦争(プロイセン-英語でPrussia-王国を核とするドイツ王国連合とフランスの戦争)でフランスがこてんぱにやられたのを目の当たりにした日本陸軍がドイツにほれ込んだことによる。すべて「堅い」ことが好きな陸軍軍人の好みに合ったこともモデルに採用した一因であったとも考えられる。
一方、陸軍とは犬猿の仲の旧帝国海軍が模範としたのは、当時七つの海を支配していたイギリス海軍であった。あまりにほれ込みすぎてイギリス海軍の猛烈な階級制(海軍だけではないが)まで取り込んで、海軍兵学校出でなければ人に非ずという嫌なしきたりが66年前の夏の崩壊の日まで続くことになる。
英語といえば、私の高校では(旧制のしきたりどおり)イギリス語であり、ネイティブの先生はケンブリッジかオクスフォード大学の院生(日本に留学中?)であり、つまり上流階級のイギリス語を教えられた。当時、戦後十数年のころ、西洋といえばイコールアメリカというほどに世の中にはアメリカ文明(文化)があふれていたのだが、学校の中はまだ戦前の雰囲気を保っていたことになる。
そのアメリカ文明(文化)がこの列島を席巻するまでは、政治経済の分野ではゲルマン系(アングロ・サクソンもゲルマン)が西洋であり、文化・芸術の世界ではフランスを代表としてのラテン系西洋、そして少数の「変人」にとっての西洋はロシアを代表とするスラブ系という区分となっていたことになる。*文化・芸術の中の音楽の世界ではゲルマン系が優勢だったようだが私はまったくこの分野に関心と知識がないので省いた。
科学・技術の世界はどうだっろう。ここでもゲルマン系西洋が圧倒的であり、例えば、私の子供のころは、お医者さんは誰もがカルテをドイツ語で書いていた。イタリア語やスペイン語でカルテを書いていてはいかにもいんちき風で危なそうだから患者も来なかったであろう。
戦後日本に圧倒的な影響を与えてきたアングロ・アメリカン文明(文化)、とりわけアメリカ文明(文化)を語る前に、列島における戦前までの「西洋」を概観した。
(11.07.13.篠原泰正)