「一定の目処」と「ドラッカー語録」
今年の流行語大賞は菅総理の「一定の目処」が選ばれるかも知れない。今回の大震災で曖昧な日本語が、「揉めごとを増やす」要因であることが明確となった。
原子力安全委員長の弁解も笑える。「再臨界の可能性はゼロではないと申し上げた」と。「1」か「0」しかないデジタル社会では、「0」でなければ「1」である。、「再臨界の危険性がある」、と解釈されても文句は言えない。 要するに彼が言いたいのは,誰の責任かは知らないが自分の責任ではないと言う一点だけである。
誤解をされたくなければ明確に述べるべきである。 もっと上手く責任回避を企てるなら「再臨界の可能性は0%では無い」と確率で示せば良い。日本人はロジカルで無いから「では、確率は何%か」と聞かれることは無かろう。もし聞かれたら、0から100まで有るから、いざとなれば如何様でも言い訳が出来ると思う、没問題である。但し、外国人には通用しない。彼等は○○の状態なると○%になる、○○○の状態になると○○%に跳ね上がると、いちいち説明しないと納得はしない。日本人特有の曖昧な無責任言語で、彼等をごまかすことは出来ない。
「一定の目処」も極めて日本的で笑える。「5月中に退陣、6月に退陣、夏までに退陣(夏とは一体、何月?)、9月に退陣、12月に退陣・・・」聞く人の取り方次第で如何様にも自分勝手に解釈が出来る便利な表現である。そのぶん聞く人の都合や事情(立場)によって,各々取り方が違うから余計に揉めることになる。
今回の大震災で「曖昧な日本語」が災害を更に大きくしていることに改めて気ずいた方も多いと思う。特許の世界も意味不明な曖昧文章で揉め事が多発している。隠したいから曖昧に書く、責任を回避したいから言い訳が出来るように書く、これを意図的にやっているとすれば、その才能は実にすばらしい!「あっぱれ」と敬服するしかない。
しかし、「特許文章とは、曖昧に書いてこそ価値がある」と、過去の文章を踏襲して書き続けている人の方が圧倒的多いと思う。曖昧で意味不明の日本語が廻りに対して如何に迷惑を掛けているか、海外の人達から理解を得ることが如何に難しいか、を今一度考え直して欲しい。
それにしても災害の復旧作業は進まないでいる。復旧と復興は別に考えるべきである。霞ヶ関プロジエクトの復興策を待っていると,肝心の復旧が遅れる。日本人は「丼もの」が好きであるが、復旧と復興のゴチャ混ぜは勘弁して欲しい。
被害を受けていない我々が出来る支援は、これまで以上に働いて会社の利益を生み、少しでも多くの税金を納めることである。個人の寄付支援だけでは長くは続かないと思う。幸い我々は働く職場がある。これは心から感謝すべきことである。働きたくても働く場所が無い被災者の分まで必死に働くべきである。国内が駄目なら海外へ出て稼いでくれば良い。大中小企業を問わず役人も働ける者は死に物狂いになって働くしかない。
「技術立国日本」の復活は、優秀な日本技術者(科学者)の手によってもたらすであろう。しかし彼等が生み出した開発(研究)成果を文書にして「知的財産化」する必要がある。その責任を担う知的財産関係者の責任は非常に重くなる。果たしてその自覚はあるのか。
いま、「もしドラ」のドラッカー語録が注目されている。その中で「知りながら害をなすな」がある。これは、プロたる者は、医者、弁護士、弁理士、マネジャーのいずれに有ってもお客に対して必ず良い結果をもたらすと約束は出来ないが、しかし最善を尽くすことはできる。この、ドラッカー語録は弊社の基本理念にしている。(矢間伸次)