近代工業技術の世界も産業革命以来200年の時間が過ぎて、そろそろ行き着くところまできたな、という感じがする。とんでもない、まだまだこれから、と考えている人も多くいるだろうけれど、行き過ぎやり過ぎは全部をぶち壊す元になりかねない。その行き過ぎやり過ぎとは、自らバランスを崩して暴走を始める場合もあれば、自然との調和を崩して地球上の生命体(人間を含む)に大いなる危険をもたらす場合もある。
バランスが悪いシステムの典型的な例として原子力発電が挙げられる。たかだか、お湯を沸かして蒸気を作りその蒸気の流れでタービンを回し電力を生成するという単純な仕掛けに、原子核に中性子をブチ当てて分裂させ膨大なエネルギー(熱量)を得るという自然界に存在しない荒業を組み込んでいることは、バランスという美学の観点からは、”アホじゃなかろか”という評価しか出てこない。バランスの悪い醜いシステムと言える。
原子の世界をいじることは、西洋のキリスト教風に言えば「神を怖れぬ仕業」であり、同類の技術に遺伝子組み換え(gene modification)、化学合成物(chemical compound)、ナノテクノロジー(nanotechnologies)などがある。大きさの面から見れば、これらはすべて「ナノ」(10億分の1メートル)の世界である。
バランスが良いためにこの200年大々的に発展し、工業技術の大黒柱であり続けたのが、化石燃料(fossil fuels)を燃やして大馬力を得るエンジン(engines)がある。この技術はしかし化石燃料に依存しているため、もしその燃料が得られなければ座して死を待つしかない運命を背負っている。
自然との調和という面では大いに疑問が生じる分野に鋼鉄(steel)とコンクリート(concrete)とガラス(glass)による建造物の世界がある。ローマ文明の象徴である土木建造物ゆえに土木工学が「civil engineering」(文明の工学)と呼ばれているように、この鉄とコンクリートは文明社会のシンボルとして欠かせない存在となってきた。この日本列島、ついこの前まで「土建王国」とも形容されたこの島にはこの分野での熱狂的な支持者がおり、コンクリートマニア(concrete mania)と呼ばれたりする。この文明の象徴の建造に夢中になりすぎると当然のことながら自然のバランスを壊し、また調和が取れなくなり見た目にも醜い姿を晒すことになる。
そして、化石燃料を燃やすと排泄物が大気に吐き出され、原子を分裂させると何十万年消えぬ放射性物質を出す排泄物が出、自然界にない原理で化合した材料(materials)-例えばプラスティック(plastic)や化学肥料(chemical fertilizer)や殺虫剤(pesticide)は土に帰ることなく原型を保ったままごみとして地表に地中に海中に存在し続けることになる。近代の技術はこれらの物理学的化学的排泄物を分解し土に戻す技術は未だ持っていない。大理石の豪華バスルームを建造する技術はその頂点を極めたけれど、そこから出る排泄物の処理は誰もやりたがらなかったことになる。”俺はトイレの設計屋でありウンチの処理屋ではない”ということなのだろう。
このように、4つの分野に分けて、これから、技術の世界を概観していくことにする:
(1)化石燃料とエンジン(燃料採掘を含む)
(2)鉄とコンクリートとガラス
(3)神を怖れぬ技術
(4)排泄物処理
科学知識と技術力に”俺様は何でもできる”という傲慢さ(arrogance)、自然は征服できるという傲慢が掛け合わされると、そこには行き過ぎが生じ、暴走して自爆するか人から石持て追われる運命が待ち構えていることになる。この傲慢に強欲(greed)と権力欲が加わるとそれこそ手がつけられぬ様相をその技術が示すことになる。
(11.06.21.篠原泰正)