自分の力で生きていくには情報が必要である。情報がなければ闇夜に提灯無しで歩いているようなもので、どぶ溝にはまったり橋から転げ落ちる危険がある。
今、情報と書いたが、一般的に「情報」(広義)といわれている中身には3段階ある。もっとも生の情報は通常データ(data)といわれ、そのデータがテキスト、図形、画像、映像、音声などでくるまれているものを狭義の情報(information)という。その狭義の情報に自分の考え、判断、分析などを盛り込むとこれが知識(knowledge)となる。ついでに言えば、その知識にその人の体験やら深い洞察などが加わるとそれは知恵(wisdom)の高みに達する。私自身は何事においてもこの知恵の高みにまで達していないから、ここでは3段階の知識どまりまでで話を進める。なお、断わっておくが、以上に述べた分類は世間公認の標準ではなく、私個人の分類であり、その汎用性は保証しかねる。
人は万能ではないから、地球の自然のや世の中の出来事の多くは、あるいはその大半には門外漢である。つまりプロフェッショナルの反対のシロウトである。つまり、データを含む情報を目の前に示されても、それが何を意味するのかつかまえるのはなかなかに難しい。一方で、ある分野に関してそこでの情報をどのように料理(分析)するべきかなどの訓練を受け、しかも何年にも渡ってその分野で発生している大量の情報に接していると、そこに何ほどかの判断ができるようになりその知識が積み重なっていく。この段階に至れば、手にした情報が断片的なものであっても、その前後左右が推測でき何ほどかの判断を下すことが可能になる。
今回の福島原発の事故におけるわれわれ普通人の関心事の一番は、撒き散らされている(はずの)放射性物質がどれほどの量でどこまで広がっているのかというところにある。私のように既に年古びた者にはたいして影響はないが、子供を抱えている家庭ではまさに生存のために絶対的に必要な情報となる。
ところが、政府や当事者の東電などから示される情報(データを含む)が何を意味しているのか、特に今回のようにややこしい原子力の話しとなると、普通人にはとても理解できない。情報だけ示されてもそれを判断する能力がない。「お上」がわかりやすく説明してくれればいいのだが、そのような親切心は持ち合わせていないようだし、それどころか、この2ヶ月見ていると、どうもわれわれのレベルとあまり変らないドシロウトの集りのようでもあるから、わかりやすい解説などは期待できない。
そういうときにこそマスメディアの出番となるはずなのだが、これも一向に頼りにならない。欧米のメディアと比べると日本のマスメディアは圧倒的に「科学」と「技術」を解説できるレポータ(記者)が不足している。その不足が今回のような世界を揺るがす大事件となるともろに弱点として現れてしまう。
レポータやテレビのコメンテータと称する人たちに頼れないとなると、残るは原子力分野で長年飯を食ってきた「知識人」ということになる。情報を料理しそれが何を意味するのか判断できるプロフェッショナルに頼るしかない。米国に本拠を持つUnion of Concerned Scientists(社会的関心事が高い科学者たちの集りと理解していいだろう)が今回の福島事故と同時に世界の記者(新聞・テレビなど)からの電話質問を毎日受け付ける場を開設し、ユニオンの中の原子力のプロ(科学者-学者)が丁寧に答えている。(やり取りを全てテキストにしてウエブサイトで公開しているので現場にいなくともそこでのやり取りを知ることができる)。先に、欧米のマスメディアには科学記者が日本のそれより多いと書いたが、彼らでも情報の意味を理解するのが並大抵ではない事がこれでわかる。記者諸君にまともな記事を書いてもらうためにまともな科学者が手弁当で協力しているわけだ。
日本では、残念なことに、このようなつながりの場が設けられてはなさそうであるし、また仮にあったとしてもわれわれレベルとほとんど変らない知識しかないレポータ(記者)ではプロに何を質問していいのかさえもおぼつかないと思われる。それでは、残る手としては、プロの知識人に説明してもらうしかないことになる。ところが、ここでも、またまた、不幸なことに、二つの大きな障害がある。
一つは、そのプロが鉄壁の官産学で結成されている原子力村の住人であれば、村の不利益になるような話はしてくれない。そのプロが長年重ねてきた知識を元にして自分の判断をそのまま新聞やテレビ番組で発言すると村八分の危険がある。福島の人達よりもわが身が可愛いから、自分の身の安全を第一にして住民の安全は第二となる。
もう一つは、たとえそのような配慮もせず本当のところを何とか伝えようとしてくれている知識人であっても、悲しいかな、シロウト衆に語るテクニックをもたない。この列島の科学者・技術者の弱点がモロにでてしまう。
さらに言えば、これらの知識人は、科学的良心であろうけれど、不確かなデータを元にして語るキケンを避ける。完全なデータなどありはしないのに、不確かなデータに配慮しすぎるのがこれらの知識人の一般的な態度であると言える。己が知識に基づいて直感を入れて危ないものは危ないとズバリ言って欲しいのだが、その勇気に欠けている。
このようなわけで、われわれ素人の民衆はどこまで行っても藪の中から抜け出せない。
金曜日(11年5月12日)、第1号炉で燃料棒がほぼメルトダウンしていること及びそれを格納している圧力容器の底に穴があいていて水漏れがしていることがわかったという発表がなされた。大量の水を注いで冷やしている話は最初から聞いていたし、圧力容器の上から注いだ水が溢れ出した話が出てこないし建屋に汚染水が溢れ海にまで流れ出していたから容器が水漏れしていることはシロウトでも推測がついた。1時間で注ぐ水が例えば10トンであれば、一日で240トンになりそれをほぼ2ヶ月続けていたわけだからこれまでの総量は1万4千トンになる。その内蒸発した水が仮に4千トンあったとして、残りは1万トンになる。これは容積に直せば1万立方メートルであり、幅20メートル・奥行き20メートル・高さ25メートルの箱(容器)が満杯になる量である、圧力容器の内部容積がいくらになるのか知らないが、まさかこんなに大きくはないだろう。素人にもわかるこんな話を置いておいて、全部を水で覆う「水棺」作戦という話しはどこから出てきたのだろうか。
それはさておき、既に2ヶ月もの間野ざらし状態の使用済み燃料棒プールやら水漏れ原子炉(圧力容器とその外側の格納容器)によって、大気と海と地下水にどれだけの放射性物質が出て行ったのか。生存に必要な情報、その情報の意味を解析し説明してくれるべき知識人の知識からわれわれは「隔離」されたままで、放射性物質からは「隔離」されないで晒されたままに置かれている。本来穏やかな自然のこの列島で生き延びるのもなかなか大変なのだ。
(11.5.14.篠原泰正)