今からもう50年近く昔になるが、夏休みを利用して三陸海岸を二度旅したことがある。港町が好きなものだから、旅というともっぱら海岸線をいくことをが多かったが、とりわけ小学校か中学校でならったリアス式海岸をこの目で見たく、はじめは一人旅で(私の旅はほとんど独行であった)鉄道とバスを乗り継いで北上した。二度目は仲間と4人で車でそれこそ海岸線の道をなめるようにこれも北上し下北半島に抜けた。当時は新日鉄の工場がある釜石以外はほとんど漁村といってもいいくらいののどかな穏やかな港町がつながりその風景の美しさは今でも心に残っている。それらの美しい港町がこの津波で見る影もない有様になってしまっているのをテレビの映像で見るたびに心が痛む。
それらの町の中で、特に印象が深かったのは宮古の近くの田老という町につくられていた巨大な防波堤(防潮堤)であった。明治と昭和の三陸津波の教訓から、高さ10メートル(と聞いた覚えがある)の堤でもって延々とまさに万里の長城の小型版のようにして町を海から守っていた。それはまさに、”ここまでやるか!”というほどの迫力であった。その大堤防も今回の津波はやすやすと越えて内側の何百という家々を平にしてしまったという。あの高い堤防を越えるなんてことがあろうとは想像の外であり、多分、町の人も安心していたであろう。自然の力のものすごさ。普段は穏やかな気象に恵まれたこの列島は、時たまとてつもない自然の驚異に晒される。確か6千人ほどが犠牲になった伊勢湾台風の数年後に関西へ車で行く途中、伊勢神宮に近い国道1号線の傍らにここまで水がきたという印を付けた標識が立っていたのを見た記憶もある。確か3メートルはあろうかというその高さに台風で上がってくる潮の恐ろしさを感じたが、今回の津波はその比ではなかったことになる。
三陸の町の多くは湾の奥に流れ込む河がもたらした扇形の平野にあったが、そこが平野であるがために津波の行き足が留まることなく奥まで突っ走ったように見える。私が旅したときから50年近くの間に、高度成長の波にのってこの平野に多くの人が住むようになり、そのことが犠牲になった人の数も増やすことになったのだろう。
この平野に、もう一度町を復興させるのだろうか。コンクリートで固めたどのような防潮堤も役に立たないことがわかった今、もう一度同じ形で再建することは無謀であろう。これから30年先、50年先を見通せば、津波が来なくとも過熱する地球の温度によって海面の水位がジワジワと上がってくるのは防ぎようもない事だから、世界中の海辺の町はこのままではありえない。1メートル水位が上がるだけで水の下になる地域(面積)がどれほど多いことか。縄文時代にはこの列島のそこかしこで海が内陸深く浸透していたことから考えれば、海面の水位が上がることは驚くことではない。
そのことはまた、高度成長の中で造られてきた埋め立て地もまた水の下になる日のことを予想しておかねばならないことも意味する。
この列島の住人は自然の力の怖さを知り、その自然と協調しながら長い年月生きてきたはずだが、この半世紀のワッセワッセの中でその「伝統」を忘れてきた。あるいは科学・技術という力に信を置きすぎて暮してきた。その生き方に今回の津波は強烈なパンチを食らわせたことになる。従って、これをいい教訓にして、三陸の町々が、世界に先駆けてこれからの時代の、地球の異変がますます激烈さをましてくるこれからの時代の海辺の町のあり様の模範となるべきだろう。人間の技術なんてのは自然の力の前には無力であることがわかったのだから、その力に逆らわず、津波が来ても高みの見物ができるところに住み、海辺の仕事場は逃げ場をもつ高層の鉄筋コンクリの建物にする。川の護岸などの無駄な努力はやめて、元の自然のままに平野部には遊水地を設け山からの洪水と海からの津波のバッファを多く造る。
私のような素人が新しい町の設計に何ほどのことが言えるわけではないが、基本は自然に逆らわず、自然の中にできるだけ同化して暮すという列島の伝統文化への回帰にあると考えられる。基本方針さえしっかり立てれば、実際の町づくりをどうすればいいかはその地の住民が知恵を絞ればよき構想と実現手段はいくらでも出てくると思う。そう信じたい。
この50年、われわれは浮かれすぎていた。そのツケが3万人という途方もない犠牲者の数となってまわってきた。列島の住民全体のツケを太平洋側の東北地域の人だけが払わねばならなかった不公平は残るが、それだけに、世界の模範となる生き方と町づくりをかの地の人々が新しく建ててくれれば、犠牲者の霊も少しは浮かばれるだろう。残念ながら私はもう目にすることはできないだろうけれど、海に生きる人たちの町が穏やかなたたずまいの中に再び作り上げられ、世界からその模範、海辺の町の模範を学びに人々が詣でる場になってくれることを切に願いたい。森と川と海に囲まれての美しい町が出来上がることを切に願う。この列島の住人は教訓から学ぶ知恵と勇気を持っているのだから。
(11.4.12.篠原泰正)