”原子力発電は安全です、と言い張るのなら、お台場の埋め立て地に建てればイイジャネエカ”、と私はもう随分昔からつぶやいてきた。大きな声で言うと、また、”変なオジサン”と思われるのも嫌なので、そのかわりに、”アブナイオジサン”風に一人でブツブツつぶやいていたわけだ。
もし、私のつぶやきが本当になり、今回の事故が福島ではなく「お台場原発」の事故であったなら、半径20キロメートルの強制疎開地域は南は鶴見・川崎、西は三鷹・吉祥寺、北は川口・浦和、東は市川・船橋といった地域をバサリとカバーすることになる。私の住むところはお台場から14キロほどのところだから、完全にこのサークルの中に入る。福島と違って、この人工密集地域、多分1500万人ほどが対象となるこの地域の疎開なんぞは物理的に不可能である。グラウンドゼロ(爆心地)を200キロ南東にずらせばこのようになる。今回の事故の大きさがこれで少し実感できる。このお台場原発が絶対に実現しないのは、このような首都圏ゴーストタウンなんて事態に万がイチにもならないように、辺鄙な田舎に置くことが設計の基本方針にあるからである。つまり、トテツモない規模で事故が起こるかも知れぬという想定はなされてきた。その時、被害を最小に抑えるために、できるだけ人里はなれた場所が選ばれている。20キロ、30キロ圏内に暮す福島の人たちは随分とコケにされてきたものだ。
このような恐ろしい、とても東京の海の玄関口などには据えられぬキケンブツが55基も建てられるのを、この列島のアホな住民は、ホイホイと認めてきたわけだ。たかだか電気を得るために。”オール電化”で豊かな生活を享受するために。そのアホな住民の一人である私なんぞも、勤め人現役のころには、原発でつくられた電力でもってギンギンに輝く銀座赤坂のネオンにつられて、毎日の如く夜の巷を徘徊する「愚行」を重ねてきた。豊富な電力のおかげでの高度成長の波に乗って、毎年給料は上がり続けるものであるというアホな思い込みの元に過ごしてきた。今回の福島原発の事故は、そのようなアホサ加減のツケがまわってきた感がする。
この原発55基を、世界で唯一原爆をくらった列島に自分で建てたというところに、更なる悲劇性あるいは喜劇性が加わる。ほとんどの住民が核兵器廃絶を願っているだろう列島において、一方で、「原爆」何十万発もの放射能を有する「原発」でもって豊かな生活を送っている矛盾。陰でヒロポン打ちながら表では「麻薬根絶」キャンペーンに署名しているような分裂的姿勢。今回の福島事故を知れば、広島と長崎で殺された30万の被害者が地下で怒るだろう。俺達の犠牲を無にするのかと怒り、泣くだろう。”たかだか「電気」を得るがために何でそんな危険な手段に頼るのか、お前達には「恥」という意識がないのか、日本人の誇りを失ってしまったのか、情けない後輩だ”、と怒りに震えるだろう。
福島原発の事故の一番の大本には、「豊富な電力の下での豊かな生活」に溺れてきたわれわれのアホさ加減がある。豊かな自然に恵まれた世界でもまれにしかないこの列島を自分達の手で放射能で汚す愚行をわれわれは世界に示してしまった。”アンタラ、ジャパニーズはアホとチャウカ”と世界の人に笑われても仕方がなかろう。そのとおりなのだから。
(11.4.4.篠原泰正)