日本のメーカーが世界のDRAM(Dynamic Random Access Memory)市場を席巻していたころ、知り合いになった半導体技術者から、知っていますか?とたずねられたことがある。なぜ日本のメーカーはメモリーチップ(memory chips)では圧倒的勝利を収めても、マイクロプロセサ(micro-processor)ではインテル(Intel)やAMDに遠く及ばないのか、そのわけを知っていますか、ということだ。答えは、日本のメーカーはマイクロプロセサの仕様書が書けないからだ、であった。彼の話によると、仮にDRAMの設計仕様書が100ページで収まるとすれば、マイクロプロセサのそれはその10倍も20倍も、すなわち千ページも二千ページもの仕様書になるとのことだった。
この話を実証する能力は私にはないが、およその察しはつく。メモリーチップの命は書き込みと読み出しの速度である。極めて単純な仕事を命令に忠実に迅速に行なえばOKである。一方、マイクロプロセサは司令塔であるから、周りのすべての存在に気を配らなければならない。したがって、その関係を一つ一つ規定していけば、書いても書いても終わらないことになろう。とてもじゃないが、日本人が乗り出せる世界ではな。
日本語で仕様書と呼び慣わされている「Specifications」の原義はナンだろうか。基本語辞典をみると次のように説明されている:
specify(動詞); state exactly or in detail; 正確にあるいは詳細に述べること、とある。
specification(名詞); a detailed statement of what is wanted or required;望まれていること、あるいは要求されていることを詳細に述べること、とある。
specific(形容詞); definite, particular, precise; 限定的な、特別な、精密な、というように極めてはっきりとした、他とまぎれないという意味で使われることがわかる。
私は現役のころ商品企画が本職であったので、今振り返ると冷や汗ものだが、何十という「(商品)企画仕様書」を書いてきた。英語では「Required Specifications 要求仕様書」とよばれる類の仕様書で、こういうものを作ってくれ、と設計部門に投げる文書である。市場がこういう商品を待ち望んでいる、という嘘っぱちをいかにもっともらしく書けるかがこの文書の味噌である。展開の論理が怪しかったり、なぜ必要かの説明がふらついていたりすると、設計部門や各部門長にすぐに見破られて、ごみ箱行きの運命をたどることになる。
この「要求」に基づいて、わかりました、ではこういうものを作りましょう、と設計屋さんが書いてくるのが「設計仕様書 Design Specifications」である。この文書がまともに書けないと、一人前のエンジニアとは呼ばれない。ここでの記述が明確でなかったり、規定漏れが有ったりすると製造段階で思わぬ問題が出たりする。したがって、できうるかぎり厳密に、明快に書くことがエンジニアに要求されている。
このように、もの作りの前線で育ったものとして、国内向けの「特許明細書」なるものを読むと、これはとてもじゃないが「仕様書」なんてものじゃない。「Ptent Specifications」はその名のとおり、パテント獲得を目的とした発明に関する仕様書であり、これがどういう発明であるかが、読んでわかるように書かれていなければならない。米国の特許法でも国内の特許法でも、明確にわかりやすく記述すること、と定められている。その発明で独占の権利を得る代わりに技術を開示すること、は約束事だから、開示したくなければ出願しないでおけばいいだけの話である。
日本人が読んで意味を捉えられない日本語文章で書かれた「特許明細書」が、世の中に氾濫していると知って、私は本当に驚いた。このようなアホナコトに何万人もの関係者が毎日エッサエッサと携わっているとは、ほとんど想像を絶する世界である。
メキシコのユカタン半島で栄えたマヤ文明の石碑が、ジャングルの中から発見されてから一世紀近くになる。彼らがやけに詳しい暦、-例えば1年間の時間算定は極めて正確で、それ以上の精度は20世紀の技術でようやく超えることができた-を持っていたことは読み取れたが、いまだに世界の考古学者の知恵を集めても全文は解読されていない。日本の特許明細書の文章もこのマヤ碑文に匹敵するぐらい、解読するのが難しいから、その難解な文章に日々取り組んでいる特許庁の審査官に、マヤ碑文の解読を委託すればどうだろうか。もしかしたら、簡単に読み取ってしまうのではないか?
(05.10.13.篠原泰正)