もうすでにだいぶ怪しくなって来ているが、幸いにして頭の回転があと10年続いてくれれば、10年後のこの日本列島の姿を眺めることができる。しかし、それが難しい可能性も充分にあるので、先走って10年後の姿を予測しておき、「見た」つもりになっておくのも意味あるところだろう。
世の中(=世界)がなにやら騒々しく、またキナ臭くなって来ている今、先々を予想するとこの傾向が年々歳々強まることはあっても静まる気配はない。この騒々しさの原因は、一つには地球の自然が変調を来たして多分もう元に戻ることがない事、および、地球資源を、主に日本を含む”先進諸国”(何が「先進」かはいずれゆっくり考えるが-真っ先かけてアホな事をしたと言う意味の「先進」である)がめったやたらと掘り出してつかい(費い)過ぎたために倉庫内の在庫が目に見えるようになったところにある。しかも、おまけとして、これから世界最大の消費者となるべく運命付けられている中国が突如(私のような凡人にはそのように映る)舞台に登場してきたことで騒々しさが倍加している。お騒がせの「アメリカ」だけでもへきえき(辟易)しているのに、すぐお隣で13億もの人たちに鉦や太鼓で元気よく走り回られると頭も痛くなるし目まいもする。
そんな騒々しい世の中で、このガラパゴス・ジャポニカ(Galapagos Giaponica)と、ダーウイン先生の代りに私が命名した列島の住人が採れる方向はどこにあるだろうか。そんなことをこの夏以来ぼんやり考えていたら、いつの間にか晩秋の風が吹く季節となってしまっているので、ここは一つ元気を奮い起こして、10年後を占う卦(け)を立てようというわけだ。
この列島の住人が全員一致団結して一つの方向を目指す、なんて姿は考えただけでも震えが来るので(70年近く前に全員声を揃えて”神州不滅”だの”鬼畜米英”などと叫んでいた恐ろしい記憶があるので-念のために言えば直接の体験ではなく小学生になってから書物で知った)選択肢を二つ考えることにする。
一つは、日本「村」の住人が大好きな「閉じこもり」の変形であり、騒々しい世界に背を向けて、この列島の中で静かに穏やかに暮す途である。この列島の人は近世以来二度「閉じこもり」(引き籠り)を行っている。
最初は文字通り「鎖国」政策による引き籠りで、これは全員の総意ではなく怪しげな南蛮人の振る舞いとその文明の道具に”恐怖”を覚えた三代目江戸幕府の神経症による。一代目の家康何ぞは三河のイナカッペとはいえさすが戦国の雄であるから南蛮あたりは”へ”とも思わなかったが、三代目の”お坊ちゃま”になると”僕チャンコワイ”とばかりに村の門を閉ざしてしまったことによる。
二度目は、ガラ(柄)の悪い欧米の帝国マフィアの真似をして、挙句の果ては”イケズ”されて引き籠り、本当に引き籠るだけならまだしも意地悪されて頭にきて、何も考えずに門を開いて”突撃”してしまった。結果がどうなったかはこの列島の住民であれば誰でも(99%)知っている。(日本が戦争したことも知らないアホが出て来ているので100%とは書けなかった)
現在の列島における全般的な気配は、三度目の引き籠りを思わせるものがあり、二度目と同じようにその引き籠りの症状の一つである”先のことは何も考えずに打って出る”事を声高に叫ぶアホもあちこちで出始めている。もちろん、そのような”Mangatic”な事象にいちいち目くじら立てている暇は無いので、本題に戻す。
世間(世界)に背を向けて静かに穏やかにこの列島で暮らすためには、もちろん強い覚悟がいる。海の向こうからは誰も助けてくれないし、手持ちのお金も国に貸しまま戻ってこないので、食べるものは自分で田畑を耕して調達しなければならないし、誰も石油を恵んでくれないので石油無しで経済・社会活動を回さなければならなくなる。そのような姿を次回から描いていこうと思っている。いずれにせよ、南太平洋のタヒチの向こうを張って、”西太平洋の楽園”を目指そうということだ。そうすれば、世界中からゴーギャン(Paul Gauguin)もどきがワンサと観光に来るようにもなるだろう。
これだけでは、元気元気の人の不満が爆発するだろう。そのような(坂本竜馬の如く)元気な人たちには”海外に雄飛”してもらうことになる。大商社の人は本店をニューヨークか北京かニューデリーあたりに置き、大メーカーの人は工場を根こそぎ海外に移すだろう。強い円(1ドル50円ぐらいになれば充分に使い出がある)と世界に冠たる(ホンマか?)モノづくりとインフラづくりの”知恵”を懐にして、騒々しくキナ臭い世界で大暴れしてもらう。日常の言葉はもちろん英語であり(あるいは中国語?)、たまにこの列島に骨休めに帰ってくると、”アンタの日本語少し変ヨ”なんていわれるぐらいになる。かつて「第三世界」なんぞという不当なレッテルを貼られた地域の人々が(見た目)豊かな生活に憧れ、今ギンギンに大展開を始めているから、知恵にあふれたそれらの海外雄飛組の活躍の場はいくらでもあるだろう。知恵だけでなく、列島文化の伝統に基づく謙虚さと正直と礼儀正しさでその知恵がくるまれていれば「第三世界」は”わが庭”となるだろう。
このガラパゴス・ジャポニカ列島の住人の10年後の姿はこのように大きく二つの形で存在していることだろう。明日から、気の赴くまま、その詳細を記していくことにする。
(10.11.20.篠原泰正)