日本語は世界の公用語である、というつもりで書く(3)
一つのピリオドで終る文章の構成要素として欠かせないものはなんだろうか。このことについて、これまであまり深く考えてこなかったので、とりあえずここでは、動詞が在るかないかで文章として成立するかどうかが判定できる、としておく。
昨年11月22日付けの朝日新聞が手元にあるので、それを利用して、新聞記事の「文章」を材料にして文章成立の要件を考えて見たい。同時に、自分が外国語としての日本語を学習した者と想定し、その学力でこの記事が理解できるかどうかを考えたい。
対象とする記事は「あきれた天下り法人」と題されたものである。記事の原文は” ”で区切ってある。
(1)”事業仕分け4日目の今月16日、2ページにわたる一覧表に、民主党の蓮ほう(*漢字変換の手間を私が省いた)参院議員ら「仕分け人」は目を見張った。”
-主語も動詞もあって文章として成立している
(2)”農林水産省が進める「食育の推進」事業で過去4年間に委託または補助金を受けた公益法人のリスト。”
-リストがどうした、リストがなんだ、というような記述が伴っていないから、これは文章ではない。書いた人は、前文の「一覧表」の具体的説明のつもりなのだろう。ついでに言えば、同じものを「一覧表」と「リスト」と書き分ける事は混乱を招くだけである。
(3)”同省は天下り9法人に分散して数百万から数千万単位で関連事業を発注、5財団法人と4社団法人に計53人の官僚OBが天下っていた--からだ。”
-これももちろん文章に成っていない。
私のように60年以上も使っている日本語のベテランであれば、この3個の文章(ピリオドがあるという意味で)合わせて一つのことを述べており、第(3)の文章はレンホウさんなどが何に目を見張ったのかの内容説明であることを理解できる。しかし、外国語として日本語を習った人には、この(2)、(3)は難しいだろう。この(2)、(3)をそのまま一つの文章単位として英語に訳すことができないという事実からでも、読解する難しさの程度が推測できるだろう。英語に訳すと成れば、この3個の文章を一度ミキサーにかけて編成しなおして、新たに2個か3個の文章に書きなおすしかない。
(1)は文章として成立しているから、(2)(3)を書きなおして見る:
(2)この一覧表には、農林水産省が行っている「食育を推進する」事業に関連して、過去4年間に、同省より委託金または補助金を受けた公益法人名がずらりと並んでいる。
(3)この一覧表にある農水省管轄下の5財団法人と4社団法人に、同省から現時点で53人のOBが天下っており、それぞれの法人には、1件あたり数百万円から数千万円の範囲で、関連事業が同省から発注され、年間の発注数の平均は1法人あたりXX件となっている。
このように書きなおされた文章であれば、文章単位で英語に翻訳することは難しいことではないし、外国語として日本語を習った人にもわかってもらえるであろう。
なお、ついでに言えば、私が書きなおした文章でわかるように、原文では何が何ぼでどうしたという基本事実の記載が欠けている。もし、補助金などの金額の大小がここでの問題点ではなく、天下りの人数に話を絞りたいのであれば、”数百万円から数千万円”という金額を書き入れるのは焦点をぼやけさす余計な事である。
さらに言えば、9法人に”天下り”という形容詞を被せるのはいかにも品がない。飲み屋での談論で「あの天下り法人の野郎、俺達の税金でのうのうとしてやがって」などと憤る時には結構であるが、公の文章で書くべきスタイルではない。
私は外国語として習った英語で、日々イギリスやUSAの新聞を読んでいるが、読解に困ることはあまりない。何が述べられているのか、はてね?とつまるときには、私の英語の基礎的不足によるものであり、上に挙げた朝日の文章のような「軽業的」記述に悩まされてのものではない。反対の立場で、私が英語を母語とし、外国語として日本語を習った者であれば、この軽業のような展開にはとてもついて行けないことになるだろう。
続きは次回に
(10.07.09.篠原泰正)