この二千年の間に、日本列島の住民は三度ばかり大文明の波をかぶってきた。最初は6世紀あたりからはじまる中国文明の波であり、二度目は、ルネサンス後の反動宗教改革の前衛であるポルトガル・スペインが持ち込んできたところの、キリスト教を軸とする西洋文明であり、三度目は産業革命の成果に意気上がる西洋文明であった。最初の場合は、別に中国から押し付けられたわけではなく、こちらがその華麗さに目を回して勝手に取りこんだだけである。二度目の場合は、南蛮のきりしたん・ばてれんの異国情緒に惹かれただけである。三度目は、その文明の担い手が、なんせ腕力を誇る西洋「列強」諸国であったので、これはもう受け入れざるをえなかった。
しかし、この場で何度も書いてきたように、われわれ日本人と称される集団は、慣れ親しんだ醤油味を加えないと食べられない特性を持っており、海の向こうの大文明も、形だけは採用しても、心まで改心することはなかった。自分達に都合の良い部分だけ取り入れて、魂まで売り飛ばすことはなかった。誇り高い深川の芸者衆が”芸は売っても体は売りマッセン!”とたんか(啖呵)を切るのと似ているところがあるのかも知れぬ。
私の見るところ、西洋文明も中国文明もその基本は二値観にあり、ユーロ・アジア大陸の西と東の違いはあれ、いずれも大陸の乾いた空気を感じる。いずれも「俺が俺が」の世界であり、自己と他者をいつも厳然と区分けして、自分のポジションを保っている。そこにいくと、水蒸気の多いこの列島では、自分を自然の風景の中に溶け込ませて生きるやり方が基本であるから、イチかゼロか、正教徒か異教徒か、イエスかノーかと二値で迫られると、げんなりしてしてしまうことになる。このようにゴツゴツギスギスした食い物は醤油をかけるかしないと、とてもじゃないが食べる気もしないし、無理やりそのまま食べると消化不良を起こす破目になる。
戦後の日本が、最先端の工業技術を基にした製品の数々で、海の向こうで成功した要因の一つは、この無味乾燥の二値に基づく技術に、二千年かけて磨き上げてきた造形美学(感性)の味付けをほどこしたところにある。そして、今、後からでてきた韓国や中国に圧倒されつつあるのは、日本人のこの感性なんぞが効き目をもたらさない層にまで需要層が広がったからである。そこでは、”安いこと”が一番であり、二値のディジタルだけで全てが完結する世界になっている。基本のところでイチゼロの二値は取り入れたが、一味二味付け加えて風味を高めることで勝利したやり方。それが通用する世界がどんどん狭くなってしまった。海の向こうどころか国内でも、このような微妙な味付けを賞味できない購入者が過半となってしまった。
話しは飛ぶが、先月(5月)であったか、”ベトナムに新幹線を!”と政官民挙げて売り込んでいるテレビ番組を何気なく見たが、映し出されるサイゴン(Saigon, 現在Ho Chi Minh City)からハノイ(Hanoi)にいたる鉄道の現状を眺めていると、いくらなんでも「新幹線」は行き過ぎだと思えた。つい先日、ベトナム議会がこの導入計画(主に厖大な借入金負担)に疑問を出し、計画は差し戻されたようだが、そりゃそうだろう。世界に冠たる「シンカンセン」のディジタル技術だけを売り物にしてアプローチするやり方では、欧州の独仏や中国と競り合ったときに不利ではないか。
日本のこれからのやり方としては、かつて個々のディジタル製品に美的感性を盛り込んで成功してきたやり方を拡大し、相手地域の風土(自然と住民)と経済状況(ふところ具合も含めて)に合わせての「総合的」な提案が必要なのではないだろうか。美的感性だけでなく、自然と共生して生きてきた日本式、西洋や中国式をそのままで食さず日本風味付けをして取り込んできた日本式を「売り」の基本に据えるべきではなかろうか。その時必要な技術は、中国と西洋社会を除くほとんどの世界では、むしろ「ローテク」に属するものではないだろうか。ベトナムの鉄道は、薪を燃やして走る蒸気機関車に引っ張られるもので、当座はいいのではないだろうか。東京から大阪まで3時間でいけるようになってから50年近く(46年?)になるが、それでもってわれわれの幸せ度は上がったのだろうか。
まあ、幸せ不幸せ論は置いておくにしても、お客(相手地域)にとって何が大切かを考え、すばらしい最先端技術の説明だけではなく、提案プロジェクトを社会全体の中に位置づけ、同時に、われわれがこの150年、醤油混ぜたり、生のままかじって下痢したり、の悪戦苦闘の末に確立してきた運用ノウハウを付け加えることがポイントとなろう。
ディジタル技術の説明だけでは、われわれ日本人はしょせん西欧や中国の人々にはかなわないのだから、技術の周りを相手の人々への思いやりでくるみ、さらに、われわれの西洋文明受け入れの汗と涙の150年の物語を付け加えて、「売り込む」べきではなかろうか。感動を呼ぶお話で相手を説得することだ。二値のディジタル技術だけで中国と張り合うのは止めた方が良い、と私は思う。
(10.06.24.篠原泰正)