開かれた列島と日本語を目指して
太平洋を挟んで、赤道を境にして南東の端に位置するのが本家のガラパゴス諸島であり、北西にあるのがわがガラパゴス・ジャポニカ(Galapagos Giaponica)諸島である。両諸島の共通点は、内部に天敵がいないため、極めて快適にボンヤリと過ごし、独自の「進化」をとげてきたところにある。従って、島の外へ一歩出ると、そこは魑魅魍魎(チミモウリョウ)の世界であるから、あっという間に食われてしまう生物種であるという面でも共通している。
このガラパゴス・ジャポニカの住人の「生物学的」特徴は色々あるが、中でも、諸島内誰もが「身内」のため、言語が発達していないことはその最たるものの一つであろう。また、キケンを察知すると、自分の島に逃げ帰るという「引き籠り」の性向も目立つ。黙って引き籠るだけならまだましだが、穴の中(村の中?)から首だけ出して、”鬼畜米英”だの”一億総玉砕”だのと叫ぶような狂いを見せることもあるのでなかなか厄介な存在でもある。
その「一億総玉砕」の後40年、宗旨替えをして独自の進化をとげたモノづくりという利点(アドバーンテージ)を縦横に利用して、工業化製品の世界では、金メダルか銀メダルの頂点まで登りつめた。このときのやり方は、島内から出たくないから、「製品輸出」という、優秀な製品に語らせる手を使い、これも見事に成功した。
天辺まで行ってしまった後、周りを見れば先頭であることに気がつき、このマラソンを自分でペースを作りリードするつもりが毛頭なかったがためにうろたえてしまい、ウロウロしているうちに20年が過ぎてしまった。島の外の住人とチョウチョウハッシとやり取りするのは死んでもいやであって、同じ土俵の上で正面から対等に向かい合うのではなく、そのためもあってか、外の人への評価は極端に振れる。先の鬼畜米英からアメリカ万歳までの振れはまさに1945年8月15日を境にして一夜で振れたように、この20年の間にも振れが大きかった。
本当は怖い中国も、最初のうちは、”彼らに何ができる、俺達の技術にそう簡単に追いつけるわけがない”なんてうそぶいていたが、旗色が悪くなるとダンマリを決め込むようになった。もちろん、いつもの癖が出て、”これからの世界は中国である”なんて、またまた極端に振れるバカが出てきたりしている。一方では、タガが外れてしまっているアメリカさんの姿に気がつかず、やれ「市場原理」だの「構造改革」だのと言われるがままに、師の後ろを三尺はなれてトコトコついて歩いたりしてきた。
馬鹿にしていた中国さんの勢いのすごさと、あこがれていたアメリカさんのズッコケに目を回して、最近採用した手立ては、お得意の「引き籠り」である。わけがわからなくなると逃げ帰るいつもの手である。元々、ガラパゴス・ジャポニカと「グローバル化」は相容れない概念であるから、天気が良いうちは”これからはグローバル”なんて言っていても、雲行きが怪しくなると、グローバルのグの字も出なくなる。
この現象の原因は、社会人類学的に見れば云々、など色々あれど、もっとも大きな因は、何度も書いているように「教育システム」にある。自分の頭で考えることを育てない教育のおかげで、困難の時代になると、アホの宣伝にのって狂気を発するか、何も考えなくていい巣(島、村)の中に引き籠る。
考える力と言語の力は互いに関係しあって伸びていくものであるから、テマエ(自分)の頭で考える力が育っていなければ、当然、言語の力、特に表現する力も育っていかない。
島の中で黙々と良い製品を作り、自分は出かけないでその製品だけを海の向こうに出して済んでいた幸せな時代なら、言語力はたいして必要なかったけれど、今は違う。言語でもって、この列島丸ごと世界に売り込むぐらいの覚悟でやらなければならない時代となっている。本来なら、この20年、その転換準備に当てねばならない時を無為に過ごしてしまった。だからといって、諦めるわけにはいかない。言語でもって、言いたいことをはっきり言う力をつけねば、それこそこのガラパゴス・ジャポニカ諸島は「グリコ諸島」と名前を変える必要に迫られるだろう。グリコの意味は、もちろん、「お手上げ」である。
考える力、イコール言語力をつけさえすれば、この諸島には世界の人が必要としているネタはいくらでもころがっているのだから、大手を振って世界を歩くことができる。自分達の村(諸島の中の小さい島?)の利益を守ることだけが意識にあって、世界に乗り出そうとする人々の足を引っ張るやからとは、俺は本気で喧嘩するぜ。
(10.04.15.篠原泰正)