四川省(パンダの故郷)から「14年振り」のお客さん
私達は1996年、四川省の成都市を訪問した。目的は三国志の名跡めぐりと四川省科学技術情報研究所、四川省特許管理局への訪問である。弊社は1995年から本格的に中国特許関連の業務を開始した。弊社が初めて中国人社員を雇用したのが1990年である。名前は秦辛華さん。彼女と三国志フアンの我娘と3人の旅であった。弊社は彼女の入社を足がかりとして「中国特許関連」の業務を模索していた。
1995年、ダイヤモンド社主催の「中国特許視察ツアー」ヘ参加した。初めての中国訪問であった。団長は黒瀬弁理士で、小生はオマケの副団長をやらせて頂いた。この「中国特許視察ツアー」の面倒を見てくれたのが「北京アイアール創立者」の張峻峰さんであった。北京、上海、深セン、と移動の中で彼を口説いたのである。「日本で、日本語と特許を勉強をして中国で初めての特許情報サービス会社を創立しないか」が口説き文句である。なぜ、張峻峰氏なのか(?)、彼がとても好青年であったことが最大の理由であるが、このツアーで、「日本人が中国人を相手にして仕事することは困難である」という感が働いたからだ。早い話が私の器量では中国相手の商売は出来ない、とギブアップしたのである。(因みに中国弁理士、王礼華先生とお会いしたのが中国国際貿易促進委員会(CCPIT)への訪問でした)
さて、本題へ入ります。今回の来日メンバー(5人)の中に高級工程師、李遠紅女史が入っています。彼女は日本への留学経験者です。彼女は、帰国前の1995年、数ヶ月間でしたが弊社へ研修生として特許の勉強をすることになりました。このようなご縁で翌年の1966年、私達は成都へ訪問することになったのです。
昨年、李さんからメールが届きました。用件は、日本特許庁、科学技術振興機構(JST)へ訪問して学びたいので、矢間さんの方で段取りをしてくれませんか、と言う内容です。李さんのお父さんは四川省の大きな市の市長さんで中国共産党の「御偉方」さんです。ですから李さんは、お姫様で何でも「まるなげ」です。今回もまるなげです。しかし私を頼ってくれたのは嬉しいことです。いろんな書類を作成して手続きは大変でしたが良い経験になりました。まず、招聘理由が大事です。こんな内容です
(1)招聘理由
【今回招聘の主な目的は、四川省科学技術情報研究所の特許検索サービス、技術文献検索サービスの向上を求めるため、日本特許庁、科学技術振興機構、日本知的財産協会、商用データサービス会社(NRIサイバーパテント)等の機関、団体、会社を訪問して意見交換をして頂く計画です。
四川省科学技術情報研究所は中国南西地区、最大の国内外特許文献収集部門と知的財産管理部門を管轄しています。日本企業は沿海地区から中国南西地区への進出をしています。しかし中国南西地区における知的財産権に関する情報不足と準備不足が知的財産権のトラブルを多く発生させています。中国南西地区の(成都市、重慶市等)中国企業が日本企業に対して特許侵害を訴えるケースも増えています。日本アイアール社は四川省科学技術情報研究所と連携を深めることで中国南西地区へ進出する日本企業の知的財産戦略を支援できる知識の吸収に勤めています。その為には情報の交流活動を通して相互の理解を深め、双方の交流協力を更に促がす必要がありす】。
四川省科学技術情報研究所、陳副所長、(高級工程師)他、4名の来日でした。中国特許弁理士さんも居ました。通訳は豪華に弊社の朴さんと秦辛華さんへお願いしました。李遠紅さんと秦辛華さんは16年振りの対面でしたので大感激していました。人のご縁は本当に不思議です。14年の空白は感じませんでした。、ご縁のある人は、本当に永く続きます。私は元々が「中国大好き人間」で、いろんな中国文化に嵌っています。いま協力をして頂いている中国人の方にも大変恵まれています。本当にありがたいことです。
特許庁、科学技術振興機構(JST)、日本知的財産協会、NRIサイバーパテント様には大変お世話になりました。お陰様で一行は、「大変、実りのある来日でした」と大満足をして成都へ戻りました。忙しい中を対応頂いた訪問先のスタッッフの皆様、本当にありがとうございました。改めて御礼を申し上げます(矢間伸次)