「あつかましい」という不思議な形容詞がやまと言葉にはある。”あの猿は「あつかましい」とか、「あつかましい」ゴキブリだ”なんて言い方はないからこの言葉は人間向けの限定使用である。私の限られた経験と知識によれば、世界でもっともあつかましい種族はアメリカ人である。自分達の考えていることが常に正しい、自分達のやり方がいつもベスト信じ込んでいる幸せな人がアメリカにはたくさんいるから、世界のあちこちに出没して、彼らの「福音」を説く。特に1989年、ベルリンの壁が壊れて天敵のソビエトロシアが崩れ去っていってからは、”ホレ見ろ、俺達のやり方が最高なんだ!”、と舞い上がってしまったので、この20年ほどは彼らのお節介はますます激しいものがあった。”ホンマ、アツカマシイ奴チャナ”、というわけだ。といっても、彼らは「あつかましい」なんて評価基準は元々もっていないから、このように言われても何のことかわからず、まさか喜びはしないだろうけれど怒ることもしないだろう。そもそも、「あつかましい」を英語で表現する手立てはない。
話しは代るが、この40年ほどの間に、日本の製品は世界で数々の成功をおさめてきた。買ってくれるお客さんが世界のどのような文化に属しているかに関係せず、良き品質のモノをリーゾナブルな価格で提供すれば、皆さん満足してくれた。オートバイ、自動車、プリンタ、テレビ、ウォークマン、などなど数え挙げていけば日が暮れると思われるほどの大成功をおさめてきた。そして、この成功には「言葉」は要らなかった。言葉で何も語らなくても、モノと価格が雄弁に語ってくれた。
しかし、イケイケの時は黙っていても順調に進むが、一たび、ドヂを踏むと、黙っているわけにはいかない。しかし、ナアナアの似たもの同士の集りである日本人が相手であれば、何がなんだかはっきりしなくても、たいして多くの言葉は要らない。”このたびは世間をお騒がせしてまことに申し訳ございません。深くお詫び申し上げます。”と頭を下げればたいていのことは済んでしまう。日本村の中ではたいていのことはこれで治まってしまう。どのように詫びの口上を述べるかも、ひな形がたくさんあるから、その中から選ぶだけで済む。そこでは、言語力はまったく求められない。
このナアナアは、もちろん海外では通用しない。特にドヂッタ戦場がアメリカであれば、これはまったく通用しない。製品が世界共通の文明の粋を集めたものであっても、いったん事が生じれば、そこの文化に基づいての対応が必要になる。その場がアメリカであれば、何が何でもあつかましく、俺達はやるだけやっている、というところを見せなくてはならない。彼らも当然相手がそのように出てくるだろうとの前提の下にある。同じリングに上がってくるものと思いこんでいる。上がってきたらそこで壮絶な打ち合いをしようではないかと待ち構えている。つまり、事をはっきり言わず、同じリングに上がる気配がないと、”何か隠しているな、フェアではないな”、と猛烈に叩かれることになる。自分達の常識を超えた「異星人」の如き存在と思われ、不気味であるからますます叩き方に力がこもることになる。
それでは、ことが起きた時はどうすればいいのか。話しは簡単である。ごく当り前に、まず、生じた事実を全部挙げる。ここで事実を隠すと、もし隠していることがばれた場合にはもう回復不能の悪者の烙印が押される。もちろん、政府の調査報告なんてのは、都合の悪いことはうまく隠すという技に長けた編集がなされる場合も多いが、そのような技を真似してはいけない。
次いでその事実がなぜ起きたのか分析をしその原因をはっきりさせる。原因がまだつかめていなければ、ひっしに厖大な努力を投入して問題解明に当たっているかの状況を「大げさ」に述べる。それだけのことをやっていれば、早晩、ことは解決されるであろうと相手(政府、マスメディア、国民、などなど)に思わせることが大事である。
次に、問題を解決するための方策を述べる。問題解明が済んでいなければ、当座の応急対応策として、これ以上問題が広がらない手立てを出す。”まだ原因がわかりません、もうしばらくお待ちください”なんて話しはまったく通用しない。何も出さなければ、相手も振り上げたこぶしのおろしどころがなく、話しはますますこじれるから、ともかく、叩きあいができる材料を何か示さなければ、ここではおさまりがつかない。
対策を述べれば、次は、その対策をどのように実行するかの計画を説明する。
これだけのことである。ごく当り前のこの流れがどれだけ論理的に組み立てられているかが鍵である。文化が異なる相手を説得するには論理しかないのだから、ここでそれぞれのステージでの論理的つながりがはっきりしなければ、また何か隠しているなと疑われる。頭が悪いな、とは受け取ってくれない。自分と対等の存在としているから、”リング上で決着つけようぜ”、といっているのであり、頭が悪いだの言語障害があるなどとは少しも相手は思いやってはくれない。
今回のトヨタのアクセル制御問題では、上に述べた流れからみて、対策、つまりリコールと販売・生産停止ということだけがポンと出てきたから、アメリカの消費者も政府もズルッとずっこけたことになる。なんでそういう事をするの、どうやって実行するのという説明無しに、”リコールします”といわれてもそりゃアメリカ人でなくてもずっこけるわな。
問題解明に日夜なく取り組んでいる技術陣の努力が基本事項として最も大切であることは言うをまたないが、それらの努力を明確に表現してリングに上る努力こそ、ドヂッた時にもっとも必要なことになる。すなわち、ドヂを技術的に解決するのは技術者の仕事であるが、社会的に解決を図るのは文書にまとめて、しゃべりにしゃべってこちらの言い分を通す仕事を受け持つ人たちの責任である。
言語で論理的に表現する力を、そして事実データをかき集め分析・解析のデータと方法を理解し、それらを文書にまとめる編集力を日ごろから鍛えていないと、いざ「大変」の時に後手に回ることになる。後手どころか、立ち上がれないぐらいボコボコに殴られる破目になる。ドヂッた時の戦場でつかえる武器は言語力だけである。
(10.02.05.篠原泰正)