人間の力の中で、多分、もっとも大事なのは、”なぜ?”と考える力である。
この”なぜ?”という疑問は幼児の時より芽生えて来るので、親がその問いにどれだけまともに対応するかでその子の「なぜ力」の発展が大きく左右されると私は考えている。さらに、小学校から高等学校までの学校教育がこの「なぜ力」の発展に大きな影響を与える。それなら、日本の学校教育はこの力の発展にプラスの作用をしているのだろうか。答えは簡単で、絶望的なほどペケである。「なぜ力」の育成を支援するどころか、むしろ個々人のそれを殺す方向へ方向へと作用している。
日本の学校教育は、この大事な”なぜ?”を育てるのではなく、なぜ、という疑問を押し殺して、何でもかんでもいわれたとおりに(教科書に書いてあるとおりに)事柄を覚えこむことに重点が置かれている。そして生徒学生のレベルを、どれだけ頭の中にデータと情報を詰め込んだかで評価する仕組みになっている。
その結果、学校での成績の良かった者は、それに反比例するが如く、この”なぜ?”を考える力が弱いということになる。もちろん、そもそも端から頭が優秀であり、学校の試験などたいして努力することもなく通ってきた一部の例外はあるが、ひっしに努力して良いお成績を重ねてきた人に上で述べた事実が当てはまることになる。一方で、”なぜ?”の力が強い生徒学生は、この押し付け丸暗記型の教育に反発するから、結果として、大方は試験の成績が芳しくないまま卒業していくことになる。
話を大上段に振りかぶりすぎたので、少し戻す。
モノづくりにおいても、この「なぜ力」は基本的に大事なことである、というのが今回のテーマである。例えば、一つの例を挙げる。モノづくりを行っていると、そこではいつも何がしかの「問題」が生じる。問題の生じない完璧なモノづくりなんてのはありえない。そこで大事なのは、問題が生じたときに、いち早くその問題解決に取り組むことであり、そんなことは頭では誰でも理解している。しかし、「なぜ力」が弱いと、この生じた問題への反応が遅くなる。ひどい場合は「問題である」ことさえ気がつかない。また、気がついても、その問題の抱える重要度をはかる力がない。
そのために、何が起こるかといえば、問題解決へ向う行動が遅れることになる。「なぜ力」が弱い人が多ければ、一つの問題が報告されても、直ちにアクションが取られることなく、”どうしましょう”なんてことを互いに顔を見合わせながら「会議」しているうちに、問題の火は広がっていくことになる。例えば、アイアールの矢間社長に聞いた話しだが、中国で自社の製品のコピーが出たという報告が東京の本社に届く。コピーして市場に出しているのはどうやら地方の小さな町工場に毛が生えた程度の会社らしいという情報も付け加えられている。”これは問題だね、どうしますかね、排除できますかね”、なんてのんびりと半年もそのままに対策もとられないまま、放って置かれる。そして、その半年の間に、その町工場に毛が生えたレベルの会社は、従業員8千人を抱えるその地方有数の大手企業に成長してしまっている。そうなると、8千人の雇用を実現している「優良」企業に対して、何を言っても既に手遅れである。もしシャカリキにコピー問題を言い立てれば、もはやそれは「政治問題」になりかねない。ボヤの内に火を消す努力を怠り、火の手が広がってから消防ポンプ何十台をかき集めてももはや勝ち目はない。
今週、トヨタ自動社がアクセルペダルの不具合で全米だけで9百万台のリコールを発表し、なおかつ対象の8機種の販売停止と生産停止を発表したことが大きな話題になっている。この問題は、昨年8月に、カリフォルニアのハイウエイパトロールのオフィサーが非番の時に自分のレクサスがアクセルの制御困難になって、猛烈な速度で衝突し、乗っていた家族3人を含めて全員が死亡するという痛ましい事故から大きく取り上げられることになった。その状況は同乗していた家族の一人が携帯電話で刻々伝えたこともあって、アクセルがアウトオブコントロールになったことが明らかであったので、事故原因は疑問の余地もないとして騒ぎが大きくなったわけだ。しかし、今週のリコールプラス販売・生産停止の発表以来、アメリカの新聞が書き立てている記事を読むと、同種の事故は既に2004年あたりから報告されていたという。
なぜ車がほんのたまに暴走する(runaway)のか?この問題はアメリカの新聞を読むかぎり、何年もの間「軽く」扱われていたと思われる。「なぜ?」の力が弱かった。そして、8月以来、今まで、既に5ヶ月以上経過しているのに、問題の原因と、それゆえどこを直すという解決策と、いつまでにそれが達成できるかの見通しのいずれもまだはっきりと表明されていない。問題を解決するには、なぜ、なぜの積み上げで追いかけて行くしかないのに、まだ答えが出ないのは、ここでも「なぜ力」が衰えているからか。”アクセルペダルが床のマットに触れて、元に戻らなくなる”なんて説明は、技術に素人の者にも”ナンカヘンダナ”とわかる。
問題解決が長引いているのは、私の素人考えでは、このアクセル暴走の原因が、ペダルとマットというハードウエアの組合せにあるのでも、ペダルの材質にあるのでもなく、エンジンのコンピュータ制御つまりソフトウエアにあるからと思える。メカニカルな形状や耐久期限以前にペダル材質が磨耗するなんて話しであったら、1ヶ月もあったら答えが出ていたであろう。ワイヤでスロットルを制御していた昔の自動車(7,8年前ぐらいまで?)であれば、原因は早期に発見できたはずだ。ある条件とある条件が重なったまれのまれのときに、車のスロットルが全開命令を受けることになるのではないか。そして、このプログラムのバグ(バグと呼ぶべきかどうかはわからないが)は何百万という組合せの中の一つなのではなかろうか。
カリフォルニアでの私のささやかな運転体験では、そこでは自動車は同じ機種であっても、日本を走っているそれよりも常に4割か5割高速でしかも長時間その速度で走っていると感じられる。もし、国内の走行条件に基づいてプログラムが組まれていれば、ことは厄介であろう。なぜこのようなことを書いているかといえば、トヨタの問題が新聞に載る少し前に、欧州でエアバスA400M(軍用輸送機モデル)のテストフライトがあり、その際、4発のエンジンの一つが、コンピュータの不具合で突然アイドル状態になり、テストパイロットも修復不可能であったという記事を読んだばかりであったこともある。エンジンがコンピュータから送られてくるアイドリング命令を受けてその命令を解除する手立てが機上ではなかった、ということだ。
話がそれてしまったが、メカニカルなモノづくりという平和な時代の問題解決とは格段に難しいことが、メカニズムをコンピュータで、つまりプログラムで制御する現在のモノにはあるということだ。対策にあたる現場では、”なぜ、なぜ、なぜ”と追求する力が、ますます強く必要となっているし、現場だけでなく、何よりも、企業のトップ層が自社製品がどのように構成されているのかを知っておく必要がある。”なぜ”の力が弱いと、ことは全て後手後手に回ることになる。
(10.01.30.篠原泰正)