(271) ものづくりジャパン、あるいはその崩壊
私が日欧二つのメーカーでの現役を引退してから10年近くなるが、その間に、日本のものづくりの様相はがたがたと崩れてきているようだ.印象を一言でいえば、ものづくりジャパンの看板はもう降ろしたほうがいい、ということになる.
ものづくりの基盤は人であり、その人間の尊厳と価値を無視した、働く人を単なる「人件費」としかみなさない経営は、必ず「モノ」に反映され、その「モノ」は市場で拒絶されていく.コスト削減の掛け声の下で、派遣社員だ、アルバイトだ、パートだ、あげくは労働委託だなんてやり方で、「良いもの」なんかが出てくるわけがない.何度でも言うが、人間を無視した経営は、「モノ」に反映される.いかにコマーシャルでカッコ良く宣伝しても、経営者がいかに財界の大物であろうと、人間を無視できるすさんだ心の下での経営は、その会社の製品に現れる.いってみれば、製品の相が下卑た顔になる.
ものづくりしか、世界のなかで、得意技がない日本が、そのものづくりを壊してしまったら、後になにが残るというのか.戦後の日本がいかにして高品質高感度の数々のものを実現してきたのか、その要因を知ろうとせず、ものづくりの現場にたったこともないような経営陣ばかりになって、アメリカ流のグローバル化だの自由市場経済だのの宣伝に乗せられて、自分達の強さを自分達で捨てるとは、いったいなにごとか.馬鹿も極まれり.
「もの」がだめでも、「知恵」があると思えばまだ心は一瞬ほっとするが、その「知恵」をうまく文書化できないという現実を思い起こすと、またまた暗い気持ちになる.この、知恵の知的財産化と言う面では、欧米、特に米国では、1の発明を10ぐらいに膨らませて主張するぐらいは朝飯前なのに、われわれ日本は、せっかくの10の発明を1ぐらいにしか主張できない.ひどい場合は、せっかくの発明をぐちゃぐちゃの文書で壊してしまう.
カラスを鷺と言いくるめる「ディベート」で、がきのころから鍛えられてきているアメリカ人に、われわれは口で勝てるわけがない.またそのような土俵で勝つ必要もない.人間の品質が悪くなるから.ただ、素直に、上品に、自分の知恵をわかりやすく平明に述べて、その存在を主張することが、われわれ日本人の取るべき、あるいは取れる唯一のやり方であろう.
ものづくりジャパンが日々壊れていくいま、知恵を知的財産に換えることにシャカ力(りき)にならないと、本当にもう後には何もないことになる.
(06.11.01.篠原泰正)