芝刈機だって広いところを刈るのと狭い隅っこを刈るのと2台必要だ。広いから肥料をやるのにそれ用の道具がいる。樹木に虫がつくから消毒用の機械も買った。これで私に少しでも庭いじりの趣味があったら、会社の仕事なんかやっている暇はないだろう。
必要なものが沢山あるからいくらでも買わなければならない。空間があるからそれを埋めるのに不要な物を沢山買わなければならない。そのいずれもが、日本では考えられないほど安く手に入る。不要になったものだって捨てないでそのままとっておく場所はいくらでもある。だからガレージセールでガラクタを買う人もいれば、売る人もいる。日本だったら何か買うにしても、それを置くには何かを捨てなくては買えない。
交通渋滞がなく、また静かで自然がいっぱいの場所がこれでもかというくらいどこにでもあるから、ついでかけてみる気になる。それどころか、月曜日に会社に出ると挨拶は、週末をどんなふうに過ごしたかを相手に聞くことだ。どこかにでかけなくてはみっともなくて会社にも行けない。どこかにでかけるにはそれなりの車も用具も必要だ。いろんな遊び方ができるからそれぞれに必要なものを揃える。
遊びに時間がかかるから、食事の支度には時間をかけない。だからスーパーにはインスタントな食品や調味料がこれでもか、と並んでいる。いろんな国の人がいるからそれも種類の多さに拍車をかける。
店がでかくて広いから、物はいくらでも置けるし、店全体が倉庫のようなものだ。商品の回転が少なくても困らないから、少ししか売れないものでも構わない。作る方だって、一度に作って放って置けるからあまり売れないものでもペイする。品数がえらく多くなる。こんなものを誰が買うのかと不思議に思うものまで売っている。
こんな風に、身近なところでちょっと見ても、日本よりもよほど多くのニーズがある。新製品のチャンスが多い。小さい時から身近にあるニーズに触れていれば創造力も自然と身につくのは当たり前だ。広い、ということはいいことだ。
だがアメリカの広さを羨ましがっても、そしてそれをそのまま狭い日本が真似ようとしても、これは物理的に不可能だ。無理なことにこだわっても得ることは少ない。狭い日本をアメリカが真似ようと思ってもこれも無理だ。広い国では必要でも狭い国には必要のないものが沢山ある。だが狭い国に必要で広い国に不要なものはほとんどない。
そして、狭い国では小型で精密で使いやすくて品質の良いものができる。大きな国は大雑把で構わない。遠くで見るからあらが目立たない。だから日本で作ったものはアメリカでいくらでも売れる。反対にアメリカで作ったものは日本ではまず売れない。(クリヤ・ビュー)