欧州の言語は語る(しゃべる)言語が基本であることは前に書いた。「language」(原語はラテン)という言葉が「舌」から発生していることから見てもそのことは明らかであろう。
日本においても、文字が中国から輸入される前に体系として確立していた原日本語(ヤマト言葉)は、明らかに語る言語として存在していた。発音がなぜポリネシア風なのかは、いまだに私にとって謎だが(勉強不足?)、縄文と弥生の人々は、今でもそうだが、語尾に全て母音をつけてしゃべっていたのだろう。そのまま行けば、日本語も立派に「語る言語」として定着したであろうけれど、厄介なことに、中国から文字を借りてきた際、単語とその発音までも輸入したことが、いまだに尾をひいている。もちろんヤマト言葉の人間が中国語の発音そのままを真似することはできなかったから、なんとなく中国風発音(中国の人が聞いても理解できない)で収まってしまった。
この中国風発音が曲者であり、まったくヤマト風に変えることはできなかったので、ヤマト言葉の発音の中に異質の中国風が混じることになってしまった。”政府としては村山(首相)発言を踏襲します”と語られても、「トウシュウ」という言葉の漢字を頭の中で思い浮かべないと、”総理、何を話しているのですか?”と理解できないだけでなく、ヤマト言葉の調子も崩れる。ましてや、誤って、「フシュウ」などと語られると、もうお手上げである。頭の中の漢語データベースをひっしに探しても、「発言をフシュウする」という意味に当てはまる言葉は検索できないことになる。
中国からこの漢字と漢語(単語)を輸入した時点では、日本と中国の文明の発達度合は天と地ほどの差が有ったために、ヤマト言葉で表せる単語があまりにも少なく、思想や社会制度などを表現する高級な単語の多くは直輸入するしかなかった。そのため、日本語の中に、異質の発音の言葉がゴマンと増えてしまった。単純明快なヤマト言葉の語りの中に調子が狂う単語がめったやたらと増えてしまった。
語る言語として大事なリズムやらつながりが崩れてしまったことになる。そのため、もちろん私の非科学的推測だが、日本人はキレイに「語る」ことを諦めてしまったのではないだろうか。
英語の単語の約半分はラテン語オリジナルと言われているが、ゲルマン系といえども根っこは同じヨーロッパ言語であるから、何とか英語風に修正して全体の中に取り入れることができた。もっとも、それでも、ラテン語の一般化(俗っぽいラテン語)であるフランス語、イタリア語、スペイン語のような耳に快い音楽性では、英語は一歩も二歩も劣る。(これも私の体験的感覚であり、根拠は無い。)
一方、原日本語と中国語の出所はまったく異なるので、漢語をヤマト言葉の語り(口による表現)に滑らかに紛れ込ませることができなかった。しかも文明の度合が違いすぎたため、中国風発音で漢語を連発する「知識人」が多くいたため、ますますこの不協和音が広がることになってしまった。(この癖は遠く奈良朝の昔から今に至るまで続く現象であり、実に根が深い)
明治になって、これではいかんということで、「言文一致」が叫ばれ、多くの先達があれやこれやとその実現に奮闘してきた。落語の「語り」を利用できないか、ということで、三遊亭円朝の落語を聞き取り速記して出版することも行われた。(余談ながら、これは実に面白く貴重な本で、学生の頃全集を持っていたのだが、誰かに貸したまま行方不明となってしまった。おしいことをした。)
ところで、この明治期の「言文一致」運動がその後どうなってしまったのか、不勉強の至りで、私は知らない。多分、「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ」なんて軍国調の波の中に消えてしまったのだろう。
話があらぬところに行きそうになったが、言いたいことは、語る言葉(文章)と文字でもって書く言葉(文章)がひどくかけ離れていると、明快な書く文章を妨げることになる、ということである。なぜならば、語りでもって相手に理解してもらうには、それなりのわかりやすい構成が必要であるから、それを土台にしての書く文章もそれなりの明瞭性が当り前となるからである。もちろん、いくら単純明快な語りと言えども、前のアメリカ大統領のブッシュさんのように単純さが行き過ぎると知性が疑われることになるから、まずまずオバマさんぐらいのわかりやすさが簡明さの目安となるだろう。
われわれにとって、明快な文章を書くという作業は、このように、日本語の生い立ちから見ても、たいへんなことになる。
(09.08.07.篠原泰正)