石油を求めて非論理的な戦争を始め、石油が無くなって非論理的な作戦を展開する。
石油が無ければ、地上部隊は動かせない、飛行機も飛ばせないし、軍艦も港から出られない。従って、この地球上から、大規模な戦争もなくなるだろう。万歳!
もっとも、残りの石油を奪い合って「真昼の決闘」が生じる危険性は大いにあるから、あまり喜んでもいられないのだが、その話はまたの機会に置いておいて、今回は石油が無ければ戦えない話。
石油がないと戦えないことを身をもって体験したのは、前の戦争でのドイツと日本であった。
ドイツの敗色がすでに濃厚であった1944年-45年冬、フランス・ベルギーの西部戦線にあるアルデンヌの森(Ardenne)に突如ドイツ機甲師団がなだれ込んできた。ドイツ最後の大反攻として、武装SS(Waffen-SS)のパンツアー師団(Pantzer Divisions)の戦車群が荒れ狂った.*「Pantzer」とはドイツ語であり「armed」の意味。日本語では機甲(部隊)と訳されている.
この戦いはヘンリー・フォンダ(Henry Fonda)、チャールス・ブロンソン(Charles Bronson)主演で「Battle of the Bulge」と題された映画となり、日本でも60年代後半に公開されたので私と同世代の人で記憶のある人もいるだろう。バルジは地名ではなく、戦線の突出部、膨らんだところという意味のバルジである。
あわてふためく連合軍の中に在って、冷静さを失わないある将校が予言する.”あわてることは無い。パンツアーは明日あさってには燃料切れになって動けなくなる。”事態はまさにその通りになった。勇猛を持って鳴るさすがの武装SS機甲師団といえども、ガソリン切れでは戦えない。ドイツの最後の大博打も潰えてしまったのだ。
バルジの戦いの半年前、19944年6月、マリアナ諸島(Mariana Islands)-サイパン(Saipan)、グアム(Guam)、テニアン(Tinian)-の戦いにおいて、帝国海軍連合艦隊と米海軍が、空母を核とする機動部隊同士の最後の海戦を行った。日本で言うマリアナ沖海戦である(アメリカ側はthe Battle of the Philippin Seaという)。
*10ヵ月後、広島、長崎の原爆は、このテニアン島から飛び立ったB-29から落とされた。
この海戦に日本は、形の上では、9隻の航空母艦を擁してのぞんだのだが、結果は無残なものとなった。すでに内地に大艦隊を動かせる石油は無く、やむなく石油産地(兼精製所)のボルネオ(Borneo)に近い小さな諸島に隠れて出撃の機会を待っていたのだが、艦隊を走り回らせて訓練する余裕も無く、空母の搭乗員も一度も空母から飛び立つことも無く海戦にのぞんだ。飛行時間わずかに200時間、300時間、空母の発着艦もようやっとという若い搭乗員の寄せ集めだから、端から勝てるわけもなかったのだ。あまりに簡単に日本機を撃墜できたものだから、アメリカ側はこの戦いをマリアナ沖の七面鳥撃ち(the Great Turkey Shoot)と称したぐらいである。手も無く海に叩き込まれた搭乗員の無念さを思うと今でも心が痛む。
During the day of 19 June 1944,
429 Japanese planes
were shot down.
The Americans
lost 29.
This battle
was commonly referred
to
among the US Navy men
as the "Great Marianas
Turkey Shoot".
Many historian
agree that
this event
marked
the end
of Japanese naval air power.
この時から10ヵ月後、1945年4月、瀬戸内海柱島から出撃した戦艦大和は、呉軍港のタンクの底をさらって集めた石油であったが、沖縄までの片道分だけしか持っていなかった。
(05.9.23 篠原泰正)