キーワード:誇り(proud, honor, dignity)
文明は圧倒的な影響力を伴って、社会制度(仕組み)、技術、学問の方法(分析や論理の組み立て方など)、思想などをもたらす。幕末から明治維新にかけてのテンヤワンヤ、1945年の敗戦の後の右往左往を振り返れば、その力のすごさは理解できるだろう。
その圧倒的な力を前にして、千年積み上げてきた「文化」がどういうことになるのか、日本の近代150年の歴史は、社会学(または文化人類学)から見て、世界でも珍しいほどの材料を提供している。一言で言えば、打ち寄せる西洋文明の大波の前に、積み上げてきた日本文化が一歩ずつ後退していく歴史であった。幕末、佐久間象山が危惧して、「和魂洋才」を忘れぬなと注意を喚起したけれど、結果から見れば、「和魂」はジリジリと崩れて行くことになった。
その後退に反発して、戦前の日本、特に日露戦争(1905年)後からの40年では、極端な反動が起こり、「神州日本」を唱えるなど、今から見れば滑稽な動きさえ出た。また、文明の力に屈した敗戦のショックは、文化をも否定する呆然自失の態度をもたらし、捨てなくてもいい価値をどぶに捨ててきたりした。日本文化の主体である日本人はいささか(あるいは相当に)軽佻浮薄のところがあるから、これらのことは、とかく極端に振れる例証でもある。
さて、今回は、文明を表すキーワードではなく、文明化に押され押されてきた文化側の言葉として、「誇り」を取り上げる。ここでいう「誇り」とは、己(おのれ)が存在にとっての誇りのことである。簡単に言えば、公家と何ら生存の権利を持たない民衆(平民?土民?奴隷?)という二つの階級で成り立っていた律令制を武士階級が壊すことで成立した鎌倉時代から確立した倫理観としての誇りである。坂東武者を核にしての鎌倉武士が確立した「名こそ惜しけれ」という美意識のことである。わが名前(名誉)にかけて成すべき役割をキチンと果たす、という美意識である。この倫理観が、時代と共に、単に武士階級だけでなく、一般庶民、農民も職人も、あらゆる階層の日本人全体に普及していった。つまり、日本文化のコアとなった。
この「誇り」にピタリとくる英語が私には見つけられない。とりあえず、「proud」、「honor」、「dignity」という三つの言葉を挙げておくにとどめる。
この「誇り」、わが存在に対する誇りの美意識が広がっていくことは、同時に個としての確立であり、日本人の歴史はその意味で鎌倉時代から始まる、と言っても言い過ぎではない。その意味で、私は鎌倉以降を「近世」と区分したい。それはともかく、この「名こそ惜しけれ」という美意識を、お百姓さんから大工の熊さん八っさんまで、誰もが持っていたがゆえに、日本の近代は成り立ったのであり、敗戦後の日本の復興もありえた。
この誇りにそむく何事かをしてしまったとき、そこに出るのは「恥」の観念である。おのれを責めることになる。アメリカの社会学者ルス・ベネディクト教授が日本文化の典型の一つして分析した「恥の文化」である。誇り高いがゆえに「恥」の観念がでてくる。言い換えれば、誇りなき存在は恥の観念を持たない。
そして、ベネディクト先生が今の日本社会をもう一度分析したなら、仰天するだろう。大戦中にものにした「菊と刀」を絶版にして、まったく新たに書き直すしかない、と思うだろう。あるいは、日本文化のあまりの荒れように、絶望して分析に取り組むことを断念するのではないか。
西洋文明の魔力による文化への侵食は行きつくところまできてしまった観もある。この、末期にある文明社会を超えて次のステージを模索するには、その文明の論理ではなく、「文化」に土台を置いて、つまりその多くをすでに失ってしまった文化に足場をすえて始めるしかない。私は、最近、そう思うようになった。
キリスト教やイスラム教のような強烈な宗教を持たない日本人がなぜあれほどまでに秩序ある社会を保ってきたのか、西洋の人から見れば不思議であったろうが、われわれは、彼らの宗教の代りに、「名こそ惜しけれ」という美意識、または美学を持っていた、というのが答えになる。この美学を失ってしまったら、日本人はまことに魅力のない存在である。そして、これからの世界に貢献することもないだろう。
(09.07.22.篠原泰正)