思い出に浸ってばかりはいられない。大急ぎでマスクを済ませて、次に無溶媒レジスト、そして無溶媒マスクをまとめあげた。
最後にSMPだ。これは計画書を作るだけだ。まだ構想の段階といってよい。基本段階でのケミストリーはなんとか最近になって確認できたが、配線基板の製造から電子部品の搭載に至るまでの複雑な工程すべての条件を満足させなければならないし、電気接続の耐久性がからむ問題でもある。基本的ケミストリーが確認できたということは今度の場合、登山に例えればようやく山登りの準備が終わったばかりで、まだ山に登りはじめてはいない。
時間があればまだまだ手を加えたいところが沢山ある。だが、時間が決まっているのだから、それに間に合わせてそれなりに満足ができるようにまとめ上げる。11月末にきっちりあわせて最後のレポートを所長のワトソンに提出した。私のレポートを何にどう使うのか。これからどんな動きがでてくるかに注目したい。グループの皆は安心しきっているが、私は電子材料事業が売却されるのは間違いと確信している。私のアメリカ生活も先はあまり長くない。アメリカを引き上げる準備を始めなければならない。一足早く1997年のクリスマス休暇をとって1年ぶりに日本に帰った。
アメリカを引き上げるのがいつになるか。おそらく1998年年内だ。いや、早ければ夏ごろになるかもしれない。さて、いざ日本に帰るとして次に私に何ができるか、いや何をやらせてもらえるだろうか。まだ57歳だ。引退するのは早すぎるし、第一経済が許さない。子供も手を離れ、ようやく少し余裕ができたというので慣れないことに手を出しはじめていた私にとって、正直なところバブル後の株価と地価の暴落は大変な打撃であった。私にはタイミングが悪かったと思う。それでもアメリカに行く前に全部清算しておけばまだよかったのに、その時間がなかったのが傷口を広げた。(クリヤ・ビユー)