根拠がわからないので、確かではない話と受け取ってもらっても結構だが、世界の人口の20%が世界中の富の85%を占めている、という数字がある。私の勘では、多分そうだろうなと思う。20%というと65億人の13億人ということになる。残りの52億人で、富の残りの15%を分け合っていることになる。
近代工業化文明は、富をできるだけ公平に分けるということに失敗したわけだ。そのことは同時に市場を広げることに失敗したことでもある。この文明の特徴の一つは「大量消費」にあるが、その大量消費は、世界の人口の20%の中だけでワッセワッセと行われてきたことになる。現在直面している「経済不況」は、50億の民から見れば「金持ち」である13億人の多くが、物やサービスを買う力が衰えたところに原因がある。あるいはツケで買い過ぎた結果とも言える。
アメリカのビッグスリーの一翼を100年担ってきたフォード自動車の創始者のヘンリー・フォード(Henry Ford)について、私の知るところは少ないが、彼はアメリカ資本主義社会の中にあって、相当の変わり者、特別の理想主義者であったらしい。自社の工場で働く労働者が、自分で作っている自動車(T型フォード)を買えるようにと、当時破格の日給5ドルという賃金にしたのも、彼が考える理想に基づいてのことであったろう。
工場で働く人が、自社の高価な工業製品を給料で買えるというスタイルが定着していれば、フォード以降の経済も随分と違うものとなっていたであろう。工業製品を世界中にたくさん売るためには、その製品を買う力を持った民衆の数を増やさなければならないのは自明のことであるが、フォードのやり方は主流とならなかった。
それどころか、ビッグスリーの旗頭であった(過去形にしている)GMの採った”たくさん売る”作戦は、アメリカ国民一人一人に、何が何でも自動車を買わせるというものであった。そのための一つとして、長距離鉄道や市電などの公共輸送機関を廃(すた)れさせ、アメリカ国民はどこへ行くにも「自分」の自動車で行くしかないようにした。地方都市の多くで有していた市電も、自治体に圧力をかけて廃止させるなど、驚くべきことも行っている。しかし、赤ん坊から年寄りまで国民一人につき1台ずつ自動車を持たせても、3億台で満杯である。
もう一つの作戦が、マスメディアを使っての宣伝の雨あられである。これでもかこれでもか、とコマーシャルを流すことで、人々が次から次へと新車に買い換えることに成功した。アメリカが戦後社会(工業化先進諸国の)でリードした広告宣伝の理論とテクニックの多くはナチスドイツのやり方を学んだ結果と言われている。(これも又聞きだから確証を私は持たない)。ともかく、戦後のテレビ社会を見事に活用したわけだ。
この大量消費経済の象徴であった自動車がヘコンダのが今回の不況の象徴的現象でもあり、同時に、公共輸送機関が「低開発国」並のアメリカの社会システムの崩壊の一歩でもある。お金(可処分所得)がなければ自動車を買い替えられないし、世界の石油在庫の底が見え始めたことで、どこへ行くにも「自家用車」という社会システムが破綻する。そして、13億人以外に自動車を買う力を育ててこなかったアメリカを先頭としてのG7諸国の経済政策のために、今更マーケットを広げることもままならない。頼みの綱は中国だけ、なんて事態に追い込まれている。
ヘンリー・フォードの日給5ドル政策は、工業をベースにする近代文明のやり方としては、しごく当り前のものと思われる。消費者を増やすには、働く人=消費者の経済力を向上させるしかないのは当然の話である。しかし、彼の「理想」がなぜ現文明の経済システムの主流にならなかったのであろうか。欧米社会で主導を取る人たちは、基本的なところで、消費者向けの工業製品を作り出すことに愛着を持たなかったのではないかとも思われる。産業革命によって自分たちが生み出したやり方ではあるが、自分たちのお金を大きくする金の卵を買ってくれる「消費者」をどのように観ていたのだろうか。技術を元にした工業製品でもって世界を豊かにしようという「理想」はもともともっていなかったのではないか。そのようなことを考えるのは、”あの変わり者のヘンリーだけだよ”ということだったのか。
もしそうであるなら、第3次の西洋文明である近代工業化文明は、最初からその内部に、必然的に崩れる要素を抱えていたことになる。今回の経済不況はその内部問題の一つの現出であり、もともと抱えていた問題であれば、何をどうしても、もうこれまでの経済に戻ることはない。少なくとも、この200年、現文明の主役であった欧米社会が「対策」をもっているはずがない。となると、欧米社会とはいささか(あるいは相当に)異なる心情で工業化に取り組んできた日本社会に、主役としての出番が回って来ているのだが、はたして製造業ニッポンの担当者にそのつもりはあるだろうか。
(09.06.26.篠原泰正)