(265) 特許明細書、あるいは文章の無法地帯
日本の特許庁に出願され、特許を取得している特許明細書を眺めると、ようここまで勝手気ままに文章を書くものだ、と変な意味で感心してしまう.かつてハリウッドの量産品の西部劇で描かれていたテキサスやアリゾナの「無法地帯」を連想してしまうほどの、無秩序、でたらめ、言語不明が「明細書」内に横行している.”文章を書くものだ”と上に書いたが、実際のところは「文章」になっていないものがでかい顔をしてのさばっているものも多い.
言語と言うものはその言語が生まれた文化の中核であり、文化が言語を生み、言語が文化を育てると言われる.それほどに言語と言うものはそれが根ざす文化において大事なものであり、言語を粗末に扱うことはその文化をないがしろにすることになる.
言語は考える道具であり、その考えを他者に伝える道具である.したがって、何が書かれているかわからない文章は、道具としての言語が果たすべき役割を実現していないだけでなく、まともに考える力が無いとみなされても仕方がない結果となる.
どのような発明なのか、「明細書」を読んだ10人のうち9人までが理解できないとなると、その明細書を書いた人は、「アホ」と判定されても文句が言えないことになろう.いや、アホが書いていると思えば腹は立たないが、言語という大事な文化財産をここまでめちゃくちゃに扱われると、本気で怒りたくなる.
知的財産の一つである特許を記述するのに、一つの集団が有する最も大事な「知的資産」である言語に敬意を払わず、勉強もせずに、しかも業界の秩序も無く各人勝手に書きたいように書き飛ばしている現状は、まさに漫画的な光景といえるだろう.知的財産を扱う集団が、もっとも高度な知的資産である言語に無知、無理解、無能力というのは、漫画と称するしかない現象である.
言語に対して無神経な集団(国民とか民族とか)は、当然のことながら、他の集団からは「知性」が低いと判定される.したがって、読んでも意味がわからない文書を公に濫発している集団(企業など)は、当然、「知性」が低いとみなされてもしかたがない.関西風に端的に言えば、「アホ集団」とみなされてもしかたがない.売り上げがいくら大きかろうと、製品がいくら優秀でも、何を言っているのかわからない与太郎が書いたような文書を公開しているようでは、「あんさん、どたま(頭)だいじょうぶでっか?」と聞きたくなる.
子供たちに「国語は大事だ、しっかり勉強しろ」と言いながら、大人がこの特許明細書の文章のようなものを世に溢れさせていて、子供にどう説明できるのだろうか.
(06.10.25.篠原泰正)